職場の空気が悪いと、自分まで萎縮してしまう。
本当は違うと思っていても、関係を壊すのが怖くて意見を言えない。
周囲が忙しそうにしていると、頼まれていないことまで引き受けてしまう。
そして家に帰ってから、「どうして自分は、人の目ばかり気にしてしまうのだろう」と落ち込む。
そんな経験はないでしょうか。
私たちは、周囲に左右されない人を「自分を持っている人」、人間関係や場の空気に敏感な人を
「自分がない人」と考えがちです。
でも、人との関係のなかで自分を捉えることは、意志の弱さではありません。
そこには、相手の立場を察し、場に応じて役割を調整し、関係を維持する力があります。
日本の社会や文化のなかで育まれてきた、ひとつの自己のあり方です。
問題は、人の影響を受けることそのものではありません。
どのような環境の影響を受け、そこで自分のどの部分が引き出されているのかを、
本人が選べなくなっていることです。
この記事では、文化心理学の「相互協調的自己観」を手がかりに、人の目が気になる理由と、
自分を活かせる環境を選ぶ意味を考えます。
「周囲に左右されない人」だけが、自分を持っているのか
■「確固とした自分を持つべき」という思い込み
自分の意見をはっきり言う。
周囲と違っても、自分の考えを貫く。
人にどう思われるかより、自分がどうしたいかを優先する。
私たちは、このような人を「自立している」「自分軸がある」と評価します。
もちろん、自分の意思を持ち、それを表現することは大切です。
周囲の期待に流されず、自分で人生を選ぶために欠かせません。
でも、それだけが主体性なのでしょうか。
人間は、誰とも切り離された存在ではありません。
家庭では家族の一員、職場では同僚や上司、地域では住民、
友人の前ではその人との関係を持つ自分として生きています。
どこにいても同じ振る舞いをすることが、本当の自分とは限りません。
相手を無視して自分の考えを押し通すことが、自立とも限りません。
「周囲に左右されない個人」だけを理想にすると、人や場の影響を受ける自分を、
未熟さや弱さとして否定するようになります。
■人は、関係によって異なる自分を生きている
気心の知れた友人の前では、自由に話せる。
職場の会議では、間違えないように言葉を選ぶ。
困っている人の前では、自然に世話を焼く。
威圧的な人の前では、反対意見を飲み込んでしまう。
この違いは、自分を偽っている証拠ではありません。
人は相手や状況との関係を受け取りながら、その場に応じた自分を生きているからです。
むしろ、相手の状態や場の目的を考え、振る舞いを調整できることは、高度な社会的能力です。
ただし、その調整が自分の意思で行われているのか、それとも拒絶や批判への恐れから
反射的に行われているのかでは、大きな違いがあります。
■問題は、環境の影響を受けることではなく「環境を選べないこと」
環境の影響を受けずに生きることはできません。
問題は、影響を受けることそのものではなく、
何から影響を受けているのか、その環境で、どのような自分になっているのか
その反応を自分で選べているのかが分からなくなることです。
周囲に合わせているつもりがなくても、長く同じ環境にいると、
その場所の基準を自分の基準だと思うようになります。
「これくらい我慢するのが普通だ」
「迷惑をかけてはいけない」
「期待された役割に応えなければ、自分には価値がない」
そうした前提が内面化されると、環境へ適応していることにさえ気づけません。
必要なのは、人の目を気にしない自分になることではありません。
自分がどのような関係のなかにいて、何を判断基準にしているのかを見えるようにすることです。
日本人に多い「相互協調的自己観」とは
■相互独立的自己観と相互協調的自己観
文化心理学者のヘイゼル・マーカスと北山忍は、人が自分を捉える枠組みを、
大きく「相互独立的自己観」と「相互協調的自己観」に整理しました[1]。
相互独立的自己観では、自分を他者とは区別された独立した存在として捉えます。
自分の考え、感情、能力、個性を発見し、一貫して表現することが重視されます。
行動を説明するときも、「私はこう考えた」「私はこれが好きだ」という内側の特性が
中心になります。
一方、相互協調的自己観では、自分を人との関係や社会的な文脈と結びついた存在として捉えます。
相手が何を求めているか、その場で自分にどのような役割があるかを考え、関係のなかで
行動を調整します。「相手が困っていたから」「この場では自分が引き受けた方がよいと思った」
という説明が重要になります。
マーカスと北山は、北米では相互独立的な自己観が、東アジアでは相互協調的な自己観が
文化的に育まれやすいと論じました。
これは、どちらが優れているかという話ではありません。人間と社会の関係を、
どこから捉えるかの違いです。
■【独立性と協調性】「日本人はみんな他人軸」という意味ではない
相互協調的自己観は、日本人全員をひとつの性格へ分類するための考え方ではありません。
研究者自身も、独立と協調の違いを、文化全体を見たときに現れる一般的な傾向として
扱っています。世代、地域、家庭、職場、経験によって大きな個人差があります。
また、相互独立性と相互協調性は、どちらか一方しか持てない対立概念でもありません。
東京の住民を対象にした研究では、両者に中程度の正の関係が見られました。
自分の意思を持ちながら人との関係を大切にすることは、十分に可能です。
したがって、目指すべきは、
日本人は他人軸だから、欧米型の自分軸へ変わらなければならない。
という単純な転換ではありません。
私たちのなかにある独立性と協調性を、相手や状況に応じて使い分けられるようになること
が大切です。
■関係や文脈を見る力は、価値ある資質になる
相互協調的自己観の強い人は、自分だけを見るのではなく、
「自分と相手」「自分と集団」「自分と状況」の関係に注意を向けます。
この特徴は、認知の仕方にも表れます。
北山らが日本人とアメリカ人を対象に行った実験では、枠のなかに引かれた線を再現するとき、
日本人は周囲の枠との比率を捉える課題で、アメリカ人は線そのものの絶対的な長さを捉える
課題で、はっきり違いが出ました[2]。
一つの実験だけで国民性を決めることはできませんが、文化的な実践が、対象だけを見るのか、
対象と文脈の関係を見るのかという注意の向け方にも関係する可能性を示しています。
関係や文脈を見る力は、日常では次のような資質になります。
・相手の小さな変化や困りごとに気づく
・言葉になっていない期待を察する
・全体の状況を見ながら自分の役割を調整する
・対立を和らげ、協力関係をつくる
・自分だけでなく、周囲にとってよい着地点を探す
など・・・
これらは、支援、教育、介護、接客、調整、チーム運営、地域活動など、
人と人の間で価値を生み出す仕事に欠かせません。
「人のことを気にしすぎる」という弱みに見える性質のなかに、
誰かの未充足や変化を捉える力が眠っていることがあります。
相互協調性には「調和」と「拒絶回避」の二つの顔がある
■誰かを大切にする協調と、嫌われないための適応
周囲へ注意を向けることが、いつもよい結果を生むわけではありません。
橋本博文と山岸俊男の研究では、相互協調性を「調和を求めること」だけで捉えると、
その戦略的な側面を見落とすと指摘しました[3]。
二人が行った日米比較では、日本人の回答者はアメリカ人より「拒絶回避」が高かった一方、
「調和追求」には文化差が確認されませんでした。
つまり、同じ「周囲に合わせる」という行動でも、動機は一つではありません。
調和を求める協調には、
相手を尊重したい
一緒によい結果をつくりたい
困っている人を支えたい
お互いが納得できる着地点を見つけたい
という思いがあります。
一方、拒絶を避ける適応には、
仲間外れにされたくない
迷惑な人だと思われたくない
評価を下げられたくない
関係を壊した責任を負いたくない
という不安があります。
前者は信頼や協働を生みます。後者が長く続くと、自分を守るために周囲を読み続け、
疲労や自己犠牲、感情の抑圧につながります。
■悪い環境では、周囲を読む力が「警戒」に変わる
批判される。失敗を笑われる。異なる意見を排除される。誰かの機嫌によって扱いが変わる。
そんな環境では、周囲を読む力が、協力のためではなく「間違えないための警戒」に使われます。
その状態が長く続くと、次第に、
・意見を求められても、正解を探す
・頼まれる前に、過剰に引き受ける
・失敗しそうなことを試さない
・自分の希望より、相手の機嫌を優先する
・役割がなくなると、自分が何者か分からなくなる
という反応が身についていきます。
家庭、学校、職場などで、期待に応えたときだけ受け入れられる経験が続けば、
「自分の意思を表すこと」と「関係を失うこと」が心のなかで結びつくこともあります。
その人に意思がないのではありません。
意思を表すより、周囲へ適応する方が安全な環境にいたのかもしれません。
■よい環境では、同じ資質が価値創造へ変わる
一方、話を遮られない。違いを尊重される。小さな失敗が許される。
貢献をきちんと受け取ってもらえる。
そんな環境では、同じ感受性が別の形で働きます。
・相手の可能性を見つける
・必要な支援を先回りして考える
・チームの関係を整える
・小さな変化の兆しをつかむ
・自分の経験を、誰かの役に立つ形へ翻訳する
東京の住民を対象にした研究でも、相互協調的自己観は、知覚された社会的支援と
正の関係を持ち、孤独感の低さにも関係していました[4]。
環境に影響されやすいことは、弱さだけを意味しません。
よい環境から力を受け取り、自分の力を周囲へ返していけることでもあります。
これは、人生におけるSWOT転換ともいえます。
ある環境で「気にしすぎ」「断れない」「自信がない」と評価された性質が、
別の環境では「気づく力」「信頼をつくる力」「相手に合わせて価値を届ける力」
へ変わることがあります。
強みと弱みは、その人の内側だけで決まるものではありません。
環境、役割、相手、評価基準との関係によって変わります。
自分を責める前に、「どこにいる自分か」を見る
■同じ人でも、環境によって使える力が変わる
何をしたいか分からない。自信がない。行動できない。
そんなとき、私たちは「もっと自分を深く掘らなければ」「意志を強くしなければ」と、
自分の内側だけに原因を探しがちです。
でも、同じ人でも環境が変われば、現れる行動は変わります。
否定される職場では口を閉ざす人が、安心できる仲間の前ではアイデアを次々に出す。
家庭では自分の希望を言えない人が、地域活動では生き生きと役割を引き受ける。
会社では「強みがない」と思っていた人が、別の場所では、その丁寧さや経験を頼りにされる。
これは、その人に複数の人格があるからではありません。
環境との関係によって、使える自分の回路が変わっているのです。
自分らしさとは、環境に左右されない固定的な何かではなく、特定の関係や状況のなかで
立ち上がる可能性もあります。
■「私は何者か」だけでは、自分を理解できない
自己理解というと、私たちは自分の性格、強み、価値観、適性を探そうとします。
もちろん、それらは重要です。
でも、自分だけを分析しても、なぜある場所では力を発揮でき、
別の場所では萎縮してしまうのかは分かりません。
人の行動を理解するには、次の二つを同時に見る必要があります。
私は、どのような人間なのか。
私は、どこにいるとき、どのような自分になるのか。
家庭、学校、職場、地域、友人関係、情報環境。
それぞれの場所で、何を期待され、何を禁止され、何を評価されてきたのか。
どこでは自分の意見を安心して話せて、どこでは間違えないことに意識を使っているのか。
人生を振り返るときは、「自分に何があったか」だけでなく、
「どのような環境で、それが起きたか」を一緒に見ていく必要があります。
■自分が育つ環境を棚卸しする
いきなり仕事や人間関係を大きく変える必要はありません。
まずは一週間、自分がいる場所と、そこで現れる自分を観察してみてください。
問い1 どこにいると、自分を小さくしているか
発言を控える、失敗を隠す、過剰に謝る、頼まれたことを断れない。そんな行動が増える
場所や相手を記録します。
問い2 誰といると、自分の感覚が戻るか
話した後に少し元気になる人、評価される心配なく話せる人、好奇心を取り戻せる場所を探します。
問い3 どこで、自分の資質が誰かの役に立っているか
気配り、傾聴、丁寧さ、責任感、調整力が、自己犠牲ではなく価値として受け取られている
場面を見つけます。
問い4 今の人生に、どのような環境を小さく足せるか
安心して話せる人を一人増やす。社外の学びに月一回参加する。週に二時間だけ、
興味のあることを試す。
今の場所をすぐに捨てなくても、人生には別の環境を足すことができます。
他人軸を捨てずに、関係のなかで主体性を取り戻す
■自分軸とは外的準拠と内的準拠を使い分けること
他人の影響を受けてきた人に、「人の目を気にせず、自分軸で生きよう」と言っても、
簡単には変われません。
それどころか、相手の気持ちを考える力や、関係をつくる力まで否定してしまうおそれがあります。
必要なのは、外的準拠を捨てることではありません。
外的準拠とは、相手の反応、周囲の期待、社会のルール、その場の状況を判断材料にすることです。
内的準拠とは、自分の感覚、価値観、意思、身体の反応を判断材料にすることです。
外的準拠だけになれば、自分を見失いやすくなります。でも、内的準拠だけになれば、
相手や社会との接点を失いかねません。
主体性とは、いつでも自分を押し通すことではありません。
相手や場を大切にしながら、自分の感覚も判断材料に含め、どちらをどの程度
使うかを自分で選べること。
それが、関係のなかで生きる私たちに必要な「自分軸」です。
■一つの環境だけに、自分の価値を預けない
人は、一つの環境だけで生きる必要はありません。
職場、家庭、地域、学びの場、趣味の集まり、オンラインの仲間、副業やプロボノ。
複数の場所を持つことで、一つの集団の評価だけに、自分のすべてを預けずに済むようになります。
会社では表に出なかった資質が、地域活動で役立つことがあります。
家庭では理解されなかった関心が、学びの仲間には歓迎されることがあります。
今の環境からすぐに離れられなくても、別の関係を小さく足すことはできます。
大切なのは、完璧な居場所を一つ探すことではありません。
・出入りが自由である
・複数の場所に所属できる
・小さな役割から参加できる
・失敗しても排除されない
・貢献だけでなく、助けを求めることもできる
そんな中間的な場所をいくつか持つことが、他人の評価と自分の価値を切り離す支えになります。
■自分が育つ関係を、人生に少しずつ増やす
目指すのは、人を気にしない人になることではありません。
相手の気持ちを考えることも、場の状況を読むことも、自分の大切な力として残してよいのです。
そのうえで、自分の感覚や意思も、関係のなかへ少しずつ持ち込みます。
今日は、頼まれたことへすぐに「はい」と答えず、一度考える。
小さな違和感を、安心できる人に話してみる。
興味を持った活動に、一度だけ参加してみる。
自分が助けられた経験を、同じことで困っている人へ渡してみる。
こうした小さな自己決定を積み重ねることで、外部へ適応するだけだった関係に、
自分の意思が少しずつ戻ってきます。
他者との関係を切って「自分」になるのではありません。
関係のなかで自分の意思を持ち、自分を活かしながら、相手も活かしていく。
それが、相互協調的な文化のなかで育った人にとっての、自分らしい主体性ではないでしょうか。
まとめ 必要なのは、強い意志より「自分が育つ環境」かもしれない
人の目が気になるのは、意志が弱いからとは限りません。
相手や場の状況を感じ取り、関係のなかで自分の役割を調整する力を使ってきたから
かもしれません。
その力は、環境によって姿を変えます。
拒絶や同調圧力の強い場所では、萎縮や過剰適応につながる。
安心して試し、貢献を受け取ってもらえる場所では、共感、協力、支援、価値創造の力になる。
だから、自分を変えようとする前に、自分がどのような環境に置かれているのかを見てください。
そして、他人の期待だけでも、自分の気持ちだけでもなく、外的準拠と内的準拠の両方を、
自分の意思で使い分けてください。
あなたに必要なのは、もっと強い意志ではないかもしれません。
自分の感覚が戻り、自分の資質が誰かの役に立つ環境を、人生のなかに少しずつ
増やすことかもしれません。
環境の影響を受けてきたからこそ、環境を選び直すことで、これまでとは違う
自分を育てていくことができます。
(参考文献)
[1]Hazel R. Markus & Shinobu Kitayama, Culture and the Self: Implications for Cognition, Emotion, and Motivation, Psychological Review, 1991.
[2]Shinobu Kitayama et al., Perceiving an Object and Its Context in Different Cultures, Psychological Science, 2003.
[3]Hirofumi Hashimoto & Toshio Yamagishi, Two Faces of Interdependence: Harmony Seeking and Rejection Avoidance, Asian Journal of Social Psychology, 2013.
[4]Hiromi Taniguchi & Gayle Kaufman, Self-Construal, Social Support, and Loneliness in Japan, Applied Research in Quality of Life, 2019.

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