便利になったのに、なぜ私たちは満たされないのか  ― コスパ・タイパ・AI時代に「自分を取り戻す」不便益という考え方

便利になったのに、なぜ私たちは満たされないのか ― コスパ・タイパ・AI時代に「自分を取り戻す」不便益という考え方

便利になり、コスパやタイパが重視され、AIがすぐに最適解を示してくれる時代。それでも、なぜ私たちは満たされないのでしょうか。便利さが当たり前になることで、手間や寄り道の中にあった一次経験や「自分でやってみる」機会を失っているのかもしれません。「不便益」という考え方から、便利さを捨てるのではなく、自分で選び直し、心が動く感覚や自分らしさを取り戻すヒントを考えます。

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目次

不便益

私たちの暮らしは、かつてないほど便利になりました。

コンビニに行けば、24時間いつでも食べ物が手に入る。
スマートフォンがあれば、買い物も、銀行の手続きも、旅行の予約も、
人とのコミュニケーションも、ほとんどその場で済ませることができます。

分からないことがあれば検索すればいい。
そして生成AIの登場によって、調べる、考える、書く、まとめるといったことまで、
短時間でできるようになりました。

私たちは長い間、「面倒なことをなくす」「時間を短縮する」「効率を上げる」ことが、
暮らしを豊かにすると考えてきました。

実際、その恩恵は計り知れません。
ところが、少し不思議なことがあります。

これほど便利になったのに、
「毎日が充実している」
「やりたいことがたくさんある」
「明日が楽しみだ」
と感じる人ばかりになったわけではありません。

むしろ、
「何となく満たされない」
「毎日同じことの繰り返しに感じる」
「やりたいことが分からない」
「仕事をして、家に帰って、スマホを見て一日が終わる」
そんな感覚を抱えている人もいるのではないでしょうか。

もしかすると私たちは、便利になる過程で、時間や手間だけではなく、
その手間の中にあった大切なものまで手放してきたのかもしれません。

自分の手でやってみること。
失敗しながら工夫すること。
身体を使うこと。
寄り道すること。
偶然何かに出会うこと。
誰かと時間をかけて関係をつくること。

そして、「面白い」「やってみたい」「もっと知りたい」と、自分の心が動くこと。

便利さや効率を否定したいわけではありません。
コンビニもスマートフォンもAIも、私たちの可能性を大きく広げてくれる道具です。

だからこそ、いま考えてみたいのです。
便利にできることを、すべて便利にすることが、本当に豊かな人生なのでしょうか。

そしてもう一つ。
便利さが当たり前になったことで、私たちは「別の生き方を選べる」ということさえ、
忘れ始めてはいないでしょうか。

この記事では、「不便益」という少し変わった考え方を手がかりに、コスパ・タイパ、AIによる
効率化が進む時代だからこそ大切になる、一次経験と「自分で選ぶ感覚」について考えていきます。

便利さを捨てるためではありません。

便利さに流されるのではなく、便利さを自分で選べるようになるために。

そこから、自分を取り戻す小さな一歩が始まります。

便利になったのに、なぜ満たされないのか

私たちの社会は、長い間「不便をなくすこと」を進歩の一つの目標としてきました。

時間がかかることを短くする。
人の手で行っていたことを機械に任せる。
遠くまで出かけなくても、必要なものが手に入るようにする。

そして今では、AIに質問すれば、知りたいことだけでなく、
「どう考えればいいか」「何を選べばいいか」
まで瞬時に提案してくれるようになりました。

確かに、私たちが自由に使える時間や選択肢は、かつてより増えています。
ところが、ここに一つのパラドックスがあります。

「楽になった」と「満たされた」は同じではない

便利になれば、面倒なことが減ります。
効率化すれば、時間が生まれます。

では、その分だけ私たちは幸福になり、心に余裕を持てるようになったのでしょうか。

必ずしもそうとは言い切れません。
たとえば、AIによって30分かかっていた仕事が10分で終わるようになったとします。
本来なら20分の余白が生まれるはずです。

ところが、
「もう一つ仕事ができる」
「もう一本資料を作れる」
「もっと生産性を上げられる」
と、その20分を新しい仕事で埋めてしまえば、いつまでたっても余白は生まれません。

これはAIだけの問題ではありません。
スマートフォンによって、私たちはいつでも人とつながれるようになりました。

同時に、いつでもメールやメッセージ、SNS、ニュース、動画、仕事の情報に
アクセスできるようにもなりました。

仕事を終えてソファに座っていても、
SNSを見る。
メッセージに返信する。
動画を見る。
ニュースを確認する。
気になったことを検索する。
身体は休んでいるつもりでも、頭は次々と情報を処理しています。

便利になるほど、「何もしなくていい時間」が自動的に増えるわけではないのです。

効率化そのものが目的になっていないか

最近では「コスパ」「タイパ」という言葉も、ごく普通に使われるようになりました。
限られたお金や時間を有効に使うことは合理的です。

問題は、その考え方が仕事や買い物だけでなく、人生のさまざまな領域にまで広がっていく
ことです。

映画を見るなら短時間で。
本を読むなら要約で。
学ぶなら最短ルートで。
失敗しそうなことは避ける。
すぐ成果につながらないことはやらない。
人間関係でも、負担を感じたら早めに距離を置く。

一つひとつを見れば、どれも合理的な選択です。

でも、
もっと速く。
もっと無駄なく。
もっと失敗せず。
もっと傷つかず。
と人生全体を最適化していった先に、私たちが本当に求めている「豊かさ」があるのでしょうか。

人生の大切なものは、意外と非効率である

考えてみると、人生で大切だと感じるものの多くは、あまり効率的ではありません。

子どもを育てる。
家族を介護する。
友人と取り留めのない話をする。
恋愛する。
料理をする。
旅に出る。
楽器を練習する。
地域の行事に参加する。
誰かの相談に乗る。
何かをゼロから作ってみる。

どれも予定通りには進みません。
時間がかかり、失敗し、ときには面倒なことも起こります。

しかし、その「無駄」に見える過程の中から、
人との信頼が生まれたり、
できなかったことができるようになったり、
思いがけないものに出会ったり、
「こんなことが自分は好きだったのか」と気づいたりします。

私たちは、効率化によって単に「無駄な時間」を削っているだけではないのかもしれません。
その時間の中に含まれていた、経験する機会そのものまで削っている可能性があります。

こう考えると、私たちが便利さや効率化の中で失いつつあるものが、少し見えてきます。

それは単なる「手間」ではありません。

何にも追われず、自分の好奇心に任せて過ごす時間。

いつもの生活圏から外へ出て、歩き、迷い、探索する空間。

損得や役割を離れて、一緒に何かをしたり、話したり、ときにはぶつかったりする仲間。

かつて子どもの遊びに必要とされた「三間(時間・空間・仲間)」は、大人にとっても、
自分の感覚を取り戻すための大切な環境なのかもしれません。

人生を変えたければ「三間(時間・空間・仲間)」の不足を見直す | 新しい生き方働き方暮し方ブログ

https://atarashiihatarakikata.com/articles/46

人生を変えたいという人も多いと思います。 子どもの頃の三間(時間・空間・仲間)の不足がその後の人生を形作ると言われています。人生を変えたいと思っている人は、まずこの生活範囲の縮小を見直すことをおすすめします。

便利さによって移動しなくてもよくなり、タイパによって余白を削り、デジタル化によって
人と直接会わなくても多くのことができるようになった。

私たちは便利さと引き換えに、一次経験が生まれる「間(ま)」そのものを減らしてきた
とも考えられます。

「最適解」がすぐ手に入る時代だからこそ

検索すれば答えが出る。
口コミを見れば失敗を避けられる。
地図アプリを使えば迷わない。
AIに聞けば、自分より早く選択肢を整理してくれる。

私たちはこれから、ますます「最適解」を簡単に手に入れられる社会を生きていきます。
それは大きな進歩です。

でも、人生には、検索してもAIに聞いても決めてもらえないことがあります。
自分は何が好きなのか。
何をしていると心が動くのか。
誰と時間を過ごしたいのか。
何を大切にして生きたいのか。
こうした問いには、誰にでも当てはまる最適解がありません。

実際にやってみる。
失敗する。
誰かと出会う。
思っていたのと違うと気づく。
もう一度やってみる。
その経験を通じて初めて、

「私は、こっちがいい」
という自分なりの答えが生まれてきます。

最適解は外から与えてもらえても、自分にとっての「納得解」は、
自分で経験しなければ見つからない。

ここに、これからの時代を生きる大きなヒントがあります。
便利さそのものが問題なのではありません。

問題は、便利さがあまりにも当たり前になったとき、それ以外の選択肢が
見えなくなってしまうことです。

次の章では、コンビニと自炊という身近な例から、「便利さがデフォルトになる」
と私たちの選択肢に何が起こるのかを考えてみましょう。

便利さがデフォルトになると、他の選択肢が見えなくなる

便利なものが増えることは、私たちの選択肢が増えることだと思われがちです。

自炊することもできる。
コンビニで弁当を買うこともできる。
店に行くこともできるし、ネットで注文することもできる。
自分で調べることもできるし、AIに聞くこともできる。

確かに、選べる「手段」は増えました。
でも、ここには一つの逆説があります。

便利な選択肢があまりにも当たり前になると、それ以外の方法を「選択肢」として
意識しなくなることがあるのです。

「補うもの」だったコンビニが、いつの間にか日常になる

身近な例として、コンビニと食事の関係を考えてみましょう。

かつてコンビニ弁当や総菜は、自炊する時間がないときなどに
生活を助けてくれる便利な存在でした。

つまり、自炊が基本にあり、出来合いの食事がそれを補う。
そんな関係です。

ところが、コンビニやスーパー、デリバリーなどが生活インフラとして発達し、
いつでも簡単に出来合いの食事を手に入れられるようになると、この関係が
反転することがあります。

出来合いの食事が日常になり、自分で料理することのほうが、
「面倒くさい」
「時間がかかる」
「タイパが悪い」
と感じられるようになる。

朝日新聞の記事では、こうした便利さが当たり前になった社会と、
初めて自炊を経験した学生の気づきが取り上げられています。

重要なのは「コンビニが良いか、自炊が良いか」という話ではありません。

注目したいのは、

便利なものが「選択肢の一つ」から「当たり前」へ変わると、それまで存在していた別の選択肢が見えにくくなる。

ということです。

いまや私たちは、「コンビニがなかったら?」と想像することさえ難しい社会を生きているのかもしれません。

(コンビニと:1)人々の暮らし 社会のニーズ映す鏡、変幻自在:朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/DA3S16523395.html?msockid=3f8389165f886ab331239e8d5e846b60

 米国を起源とするコンビニエンスストアが日本で誕生してから半世紀余り。全国に約5万6千店を数える現在、その機能は物販にとどまらない。コンビニとはいかなる存在か。建築、ファッションなどの視点から、全5回…

便利さが変えるのは「行動」だけではない

さらに重要なのは、便利な環境が私たちの行動だけでなく、
「自分には何ができるのか」という認識にも影響することです。

料理をしたことがなければ、「自分には料理なんてできない」と思うかもしれません。

壊れたものを直した経験がなければ、「壊れたら買い替えるもの」と思う。
知らない場所へ行くときは、最初からナビを見る。
分からないことがあれば、すぐ検索する。
文章を考える前にAIに聞く。
一つひとつは合理的です。

しかし、それが当たり前になるほど、
自分で考える。
自分で試す。
失敗する。
工夫する。
もう一度やってみる。
という経験は少なくなります。

そして経験したことがなければ、自分にその能力があることにも気づきません。
「できない」のではなく、単に「やったことがない」だけということもあるのです。

初めてやってみると、「自分」が少し見えてくる

たとえば、ほとんど料理をしたことがなかった人が、初めて自分で料理してみる。

野菜を切る。火加減を間違える。味見をする。少し薄ければ調味料を足す。
失敗することもあるでしょう。

それでも料理が出来上がる。
食べてみると、
「意外と自分でもできた」
「作るのって面白い」
「自分の好きな味にできる」
「今度は別のものを作ってみたい」
と思うかもしれません。

誰かに食べてもらって、
「おいしい」と言われることが嬉しいと気づく人もいるでしょう。

ここで得られたものは、一食分の料理だけではありません。
「自分でやってみた」という一次経験です。

その経験から、工夫する。身体で覚える。達成感を得る。自信を持つ。
自分の「好き」に気づく。誰かに喜んでもらう嬉しさを知る。
といった、さまざまなものが生まれます。

便利さによって省略された「手間」の中には、こうした経験まで含まれていたのです。

一方で、若者たちは「あえて疲れる」場所へ向かっている

ところが、ここで興味深い現象があります。

コスパやタイパが重視され、動画も音楽も自宅で簡単に楽しめる時代に、
若い人たちが、わざわざ「非効率な場所」へ出かけています。

音楽フェスです。
朝日新聞に、
「音楽フェスで『疲れたい』若者たち すぐに最適解得られる時代、現場の体験に価値」
という興味深い記事があります。

音楽を聴くことだけが目的なら、自宅のほうが圧倒的に効率的です。
暑さもない。
人混みもない。
移動もしなくていい。
待つ必要もない。
疲れたらすぐ横になれる。
それでも、わざわざ会場へ行く。

歩く。
並ぶ。
汗をかく。
人混みに入る。
予定通りにいかない。
そして、疲れる。

効率合理性だけで考えれば、ずいぶん「無駄」の多い行動です。
それなのに、なぜ現場へ行くのでしょうか。

若者は音楽フェスで疲れたい? ガクチカ時代、ロスジェネと違う意識:朝日新聞

https://www.asahi.com/articles/ASV790DX3V79UCVL03TM.html?msockid=3f8389165f886ab331239e8d5e846b60

 音楽フェスは体力、気力ともに消耗する。複数のステージを渡り歩き、自ら計画を組み立て……。体力のない私(47)のような人間には覚悟が必要だ。ところが、一見ネガティブなこの「疲労」こそが、現代の若者には…

疲れるという「体験をしたい」のかもしれない

ここには、今回の記事を考える大きなヒントがあります。

若者たちは、本当に「疲労」そのものを求めているのでしょうか。
おそらく、それだけではありません。

その場へ行かなければ分からない音。
身体に響く振動。
暑さ。
匂い。
人の熱気。
偶然出会った音楽。
知らない人たちとの一体感。

そして、「自分はいま、ここにいる」という感覚。

画面を通して情報を受け取るだけでは得られない、身体を伴った経験があります。
これが一次経験です。

だから「疲れたい」という言葉は、最適化された日常では得にくくなった
「生きている実感」を、自分の身体でもう一度感じたい。
という欲求の表れとしても考えられるのではないでしょうか。

便利さによって失ったのは「不便」ではない

コンビニと音楽フェス。
一見、まったく違う二つの話です。

しかし並べてみると、興味深い共通点が見えてきます。
一方では、
便利さがデフォルトになることで、手間のかかる選択肢が見えなくなる。
もう一方では、
便利さが当たり前になったからこそ、あえて手間のかかる一次経験に価値を感じる。
という動きが起きています。

つまり私たちが便利さによって失いつつあるのは、単なる「不便」ではないのかもしれません。

その中にあった、
試行錯誤。
身体感覚。
偶然。
人との関わり。
達成感。
自己効力感。
心が動く瞬間。
そうした経験する機会そのものです。

そして第1章で触れた「三間(時間・空間・仲間)」も、ここにつながります。

便利さによって移動しなくてもよくなり、タイパによって余白を削り、
人と直接会わなくても多くのことができるようになった。

その結果、私たちは便利さと引き換えに、一次経験が生まれる「間(ま)」まで
小さくしてきたのかもしれません。

だから問い直したいのです。
便利にできることを、すべて便利にする必要があるのでしょうか。

あえて残す手間や不便の中に、人間にとって大切な価値があるとしたら――。
そこから生まれたのが、次の章で取り上げる「不便益」という考え方です。

不便だからこそ得られるもの――「不便益」という考え方

便利なことは良いこと。
不便なことは悪いこと。

私たちは、いつの間にかそう考えるようになりました。
時間がかかるなら短くする。
手間がかかるなら自動化する。
迷うならナビを使う。
分からなければ検索する。
面倒な作業はAIに任せる。

社会の進歩とは、こうした「不便」を一つずつ取り除いていくことだと考えられてきました。
もちろん、便利になることで私たちは多くの恩恵を受けています。

でも、本当にすべての不便をなくすことが、私たちを豊かにするのでしょうか。
この問いを考えるヒントになるのが、「不便益」という考え方です。

不便益とは何か

不便益とは、その言葉の通り、不便だからこそ得られる益(よいこと)に注目する考え方です。

不便益システム研究所では、「不便益」を研究し、不便だからこそ得られる価値や、
人とシステムとのよりよい関係について研究・発信しています。

たとえば、便利なものは私たちの手間を減らしてくれます。

一方で、すべてを便利にしてしまうと、
自分で工夫すること。
身体を使うこと。
試行錯誤すること。
偶然何かを発見すること。
達成感を得ること。

といった、その過程で得られていたものまで失われることがあります。

不便益が問いかけているのは、「便利は悪い。不便な昔へ戻ろう」
ということではありません。

むしろ、便利にすることで、何を得るのか。
そして、その便利さと引き換えに、何を失うのか。

その両方を考えてみよう、という発想です。
これは、便利さや効率化がますます進むAI時代だからこそ、重要な問いではないでしょうか。

山頂までエレベーターで行けたら、登山は豊かになるのか

登山を考えると、さらに分かりやすいでしょう。

もし山頂までエレベーターがあれば、誰でも短時間で頂上へ行けます。
「山頂へ到着する」という目的だけを考えれば、圧倒的に便利です。

でも、それを登山と呼ぶでしょうか。

自分の足で登る。
疲れる。
途中で休む。
景色が少しずつ変わる。
「もう無理かもしれない」と思う。
それでも一歩ずつ進む。
そして頂上へ着く。

この一見非効率な過程があるからこそ、
「自分で登った」
という達成感が生まれます。

つまり、山登りの価値は「山頂」という結果だけにあるのではありません。
そこへ至るプロセスそのものが価値なのです。

これは人生のさまざまなことにも当てはまります。

手間の中には「見えない価値」がある

便利さは、多くの場合「手間」を減らします。

でも、その手間を細かく見てみると、さまざまな経験が含まれています。
・手間がかかる→ 自分で考える
・失敗する→ 学ぶ
・試行錯誤する→ 工夫する
・身体を使う→ 身体で覚える
・時間をかける→ 愛着が生まれる
・迷う→ 偶然に出会う
・人に尋ねる→ 人との関係が生まれる
・自分でやってみる→ 「自分にもできる」という自己効力感が生まれる

効率だけを基準にすれば、これらは「なくしたほうがいい無駄」に見えるかもしれません。
でも、人間の成長や満足感という視点から見ると、まったく違って見えてきます。

不便は、単なるコストではない。
その中に、経験、学習、発見、関係性、達成感といった価値が埋め込まれていることがあるのです。

「最短距離」が、いつも一番豊かな道とは限らない

ここで、コスパやタイパについても少し違った見方ができます。

コスパやタイパが重視するのは、投入するお金や時間に対して、どれだけ大きな結果を
得られるかという考え方です。

これは仕事や経営では非常に重要です。
でも、人生のすべてをこの尺度で測ると、見えなくなるものがあります。

たとえば、
子どもと一緒に料理をする。
友人と何時間も話す。
楽器を練習する。
庭で植物を育てる。
地域のお祭りを手伝う。
知らない街を歩く。
どれも「最短距離で成果を得る」という意味では、あまり効率的ではありません。

それでも、
「楽しかった」
「またやりたい」
「あの人と仲良くなった」
「少しできるようになった」
「こんな自分がいることに気づいた」
など・・・
様々なものが残ります。

人生では、結果を得るための時間と、経験するための時間は違うのです。

目的合理性だけでは測れない価値

社会学者マックス・ウェーバーは、人間の行為を考えるうえで、
「目的合理性」と「価値合理性」という異なる合理性を示しました。

目的合理性では、
「どうすれば最短で目的を達成できるか」
「どうすれば効率よく成果を得られるか」
を考えます。

その一方、価値合理性では、
「自分にとって、それをすることにどんな意味があるのか」
が重要になります。

時間がかかっても、自分で料理する。
遠回りでも、自分の足で歩く。
お金にならなくても、地域の活動をする。
役に立つか分からなくても、好きなことを続ける。
こうした行動は、目的合理性だけでは説明できません。

しかし本人にとっては、大きな価値があります。

便利さや効率を否定する必要はありません。
必要なのは、「効率が良いから」という理由だけで、人生の選択肢を決めないこと
なのではないでしょうか。

「便利か、不便か」ではなく、「何を得て、何を失うか」

不便益という考え方の面白さは、
「便利は悪い。不便は良い」
と単純に反転させないところにあります。

便利にしたほうがよいものは、便利にすればいい。
危険な作業。
単純な繰り返し作業。
長時間かかる事務処理。
人間がやらなくてもよい仕事。
こうしたものは、テクノロジーやAIに任せることで、人間の負担を減らすことができます。

その一方で、
あえて自分でやったほうがいいことは何か。
あえて時間をかけたいことは何か。
あえて効率化しないほうが、自分にとって豊かなものは何か。
を考える。

これが、AI時代にはますます重要になるでしょう。
なぜならAIは、これまで以上に多くの「面倒」を私たちから取り除いてくれるからです。

だからこそ私たちは、「何を便利にするか」だけでなく、
「何を便利にしないか」を自分で選ぶ必要がある。
のかもしれません。

不便益は「自分で選び直す」ためのきっかけになる

いつもナビを使っているなら、ときには自分で道を探してみる。

いつも出来合いの食事なら、一食だけ作ってみる。
分からないことをすぐ検索しているなら、少しだけ自分で考えてみる。
AIに聞く前に、自分なりの答えを書き出してみる。

大きなことをする必要はありません。
いつもの選択から、ほんの少しだけ外れてみる。

すると、
「意外と楽しい」
「自分にもできた」
「こんなことが好きだったんだ」
「こっちのほうが自分には合っている」
という小さな発見が生まれることがあります。

不便益の本当の価値は、不便になることそのものではありません。
当たり前になっていた選択をいったん外し、自分の感覚でもう一度選び直せること。
そこにあるのではないでしょうか。

そして、この問いはAI時代になると、さらに重要になります。
AIは眠りません。
疲れません。
24時間、私たちの問いに答え続けることができます。
しかし、人間も同じように24時間「ON」であり続けてよいのでしょうか。

次の章では、便利さと効率化がさらに進むAI時代だからこそ必要になる、人間の「ON・OFF・PLAY」について考えてみます。

AI時代だからこそ、人間には「OFF」と「PLAY」が必要になる

AIは眠りません。疲れません。24時間、問いかければ答えてくれます。
文章をつくる。情報を調べる。アイデアを出す。資料をまとめる。
スケジュールを考える。・・・
これまで人間が時間をかけていた作業を、AIは驚くほど短い時間で処理できるようになりました。

これは、私たちを多くの面倒な仕事から解放してくれる大きな進歩です。
でも、ここで一つ考えておきたいことがあります。

AIが24時間働けるからといって、人間まで24時間「ON」でいる必要はない。
ということです。

効率化したのに、なぜ時間が足りないのか

テクノロジーが進歩すれば、仕事は早く終わり、自由な時間が増える。
本来なら、そうなるはずです。

ところが現実には、効率化によって生まれた時間が、そのまま余白になるとは限りません。

AIによって30分の仕事が10分になった。

すると、
「あと一つ仕事ができる」
「もう一本資料を作ろう」
「もっと生産性を上げられる」
と、新しい仕事を入れる。

さらに効率化する。
すると、また新しい仕事が入る。

効率化 → 時間が生まれる → 仕事を増やす → さらに効率化する
という循環に入れば、生産性は上がっても、いつまでたっても余白は生まれません。

便利になったのに忙しい。効率化したのにいつも時間がない。
そんな逆説が起こります

仕事が終わっても「OFF」にならない

現代の「ON」は、仕事をしている時間だけではありません。

スマートフォンを開けば、
メール。メッセージ。SNS。ニュース。動画。広告。仕事の情報。
など・・・
次から次へと刺激が入ってきます。

仕事を終えてソファに座り、身体は休んでいる。
それでもスマートフォンを見ながら、頭では大量の情報を処理している。

そこへAIが加われば、いつでも、
「調べる」
「考える」
「つくる」
「仕事を進める」
ことができるようになります。

便利であるがゆえに、仕事と生活、活動と休息の境界が、さらに曖昧になる可能性があります。

これから私たちは、意識しなければ24時間いつでも何かに反応し、
処理し、最適化できてしまう社会を生きることになるのかもしれません。

人間には「活動」と「回復」のリズムがある

人間は機械ではありません。
私たちの身体には、活動するときと休息するときのリズムがあります。

自律神経には、大きく分けて交感神経系と副交感神経系があります。

交感神経は、活動したり、集中したり、緊張した状況に対応したりするときに重要な働きをします。
一方、副交感神経は、休息や回復などに重要な役割を果たします。

どちらか一方が「良い」「悪い」という話ではありません。

大切なのは、

活動する。
休む。
また活動する。

という切り替えです。

ずっとOFFでいる必要はありません。
むしろ夢中になって何かをしたり、身体を動かしたり、挑戦したりすることも
人間にとって大切です。

問題は、ONから降りられなくなることです。

必要なのは「ON」と「OFF」だけではない

ここで、もう一つ加えて考えてみたいのが、「PLAY」です。

私たちの時間を、
ON=働く、考える、処理する、成果を出す
OFF=休む、眠る、回復する、何もしない

だけで考えると、人生は「働くか、休むか」の二択になります。

でも、人間にはもう一つ大切な時間があります。

PLAY=遊ぶ、探索する、寄り道する、夢中になる、試してみる。
です。

子どもの頃を思い出してみてください。
何の役に立つか考えずに遊ぶ。
知らない場所へ行く。
虫を捕まえる。
絵を描く。
何かを作る。
友達と話す。
時間を忘れて夢中になる。

そこには、
「これは将来役に立つのか」
「コスパはいいのか」
「タイパはいいのか」
という目的はほとんどありません。

ただ、「面白そうだから、やってみる」という気持ちがあります。

このPLAYの中から、好奇心や創造性、偶然の発見、
そして「自分はこれが好きだったんだ」という気づきが生まれます。

「三間」はPLAYが生まれる余白でもある

以前の記事で紹介した「三間(時間・空間・仲間)」も、ここにつながります。

何かに追われていない時間。
自由に動き回れる空間。
損得や役割だけではない仲間。

こうした「間」があるからこそ、人は寄り道したり、試したり、失敗したり、
誰かと一緒に何かを始めたりできます。

ところが、効率化によってスケジュールを隙間なく埋め、移動を減らし、
人との関係までオンラインで完結させれば、PLAYが生まれる「間」も小さくなっていきます。

だからAI時代に必要なのは、単に「もっと休みましょう」という話だけではありません。

何もしなくていいOFFと、目的がなくても動いてみるPLAYの両方を、人生に取り戻すこと。
なのではないでしょうか。

フェスや旅、自然の中で「自分」が戻ってくる理由

第2章で紹介した音楽フェスの話も、この視点から見ると違って見えます。

歩く。汗をかく。音を身体で感じる。人と一緒に盛り上がる。疲れる。
そして休む。

効率だけを考えれば、家で音楽を聴いたほうが楽です。

それでも現場へ行くのは、そこにONともOFFとも違う、夢中になれるPLAYが
あるからかもしれません。

同じことは、
旅。
登山。
キャンプ。
料理。
スポーツ。
ものづくり。
地域活動。
自然の中で過ごすこと。
などにも当てはまります。

日常の役割や効率合理性から一時的に離れ、身体を使い、五感を働かせ、予想外の出来事に出会う。

そうした一次経験の中で、
「楽しい」「面白い」「もっとやってみたい」
という感覚が戻ってくることがあります。

「休む」の先に、「もう一度動きたくなる」がある

疲れている人に、
「夢を持とう」「やりたいことを見つけよう」「もっと挑戦しよう」
と言っても、すぐには動けないことがあります。

まず必要なのは、OFFなのかもしれません。

日常の役割から少し離れる。
情報から離れる。
身体を休める。
余白をつくる。
そして少し元気になったら、PLAYへ移る。

散歩する。
料理してみる。
知らない場所へ行く。
昔好きだったことをやってみる。
誰かと話す。

そこで、「ちょっと面白い」という感覚が生まれる。
その小さな感覚が、もう一度自分から動き出すきっかけになります。

つまり、
ON → OFF → PLAY → 一次経験 → 心が動く → 次のON
という循環です。

人間に必要なのは、24時間高いパフォーマンスを維持することではありません。
動くときは動き、休むときは休み、そして、ときには目的を忘れて遊ぶ。

そのリズムを自分で取り戻すことです。
便利さとAIによって、私たちはこれまで以上に多くのことを効率化できるようになります。
だからこそ、これから問われるのは、
「何ができるか」だけではなく、「生まれた時間を何のために使うのか」
ではないでしょうか。

そして、その答えを見つけるためにも、私たちには少しの余白と、少しの寄り道が必要です。

次の章では、便利な生活を捨てるのではなく、日常の中に「小さな不便」を意図的に取り入れ、自分の感覚を取り戻すための小さな実験について考えてみます。

小さな不便から、自分を取り戻す

ここまで、便利さや効率化について考えてきました。
便利なものが増えることで、私たちの生活は豊かになりました。

一方で、便利さが当たり前になると、手間のかかる別の選択肢が見えにくくなり、
その過程にあった一次経験まで失われることがあります。

だからといって、便利な生活を捨てる必要はありません。
スマートフォンをやめる。
コンビニを使わない。
AIを使わない。
そんな極端なことをする必要はないのです。

大切なのは、
便利か、不便かではなく、自分で選んでいるか。
ということです。

「いつもの選択」から、少しだけ外れてみる

私たちは毎日、たくさんの選択をしています。
ところが、その多くは意識して選んでいるわけではありません。

朝起きたらスマートフォンを見る。
移動するときはナビを使う。
分からなければ検索する。
食事はいつもの店で買う。
暇になればSNSや動画を見る。
文章を書くならAIを開く。
便利なものほど習慣になり、やがて「選んでいる」という意識さえなくなっていきます。

そこで、ときどき「いつもの選択」から少しだけ外れてみるのです。
たとえば、いつも車で通っている道を歩いてみる。
車なら10分で通り過ぎてしまう場所を、30分かけて歩いてみる。
すると、「こんな細い道があったんだ」「こんな店があったんだ」
「ここからこんな景色が見えるんだ」「この坂はなぜここにあるんだろう」
と、それまで見えていなかったものが目に入ってきます。

テレビ番組の「ブラタモリ」のように、街を歩き、地形を見て、寄り道をし、
「なぜだろう?」と考えてみる。

目的地へ早く到着することだけを考えれば、ずいぶん非効率です。
でも、効率を落としたからこそ、世界の解像度が上がることがあります。

昔から「道草を食う」という言葉があります。
普通は、目的地へまっすぐ向かわず、途中で余計なことをするという意味で使われます。

効率合理性から見れば、道草は「無駄」です。

でも、その道草の中で、
知らない場所を見つける。
人と出会う。
季節を感じる。
疑問を持つ。
興味が湧く。
自分の記憶がよみがえる。
そんなことが起こります。

考えてみれば、人生を豊かにする発見の多くは、最初から予定されていた
ものではないのかもしれません。

目的地へ最短距離で向かうだけでは出会えないものが、道草にはある。
これも「不便益」の一つです。
一食だけ自分で作ってみる。
一駅だけ歩いてみる。
AIに聞く前に10分だけ自分で考えてみる。
ネットで買わず、店まで行ってみる。
スマートフォンを置いて、誰かとゆっくり話してみる。
昔好きだったことを、もう一度やってみる。

大きな挑戦である必要はありません。

少し遠回りする。少し手間をかける。少し道草を食う。
その小さな「非効率」が、いつもの日常では見えなくなっていたものに気づくきっかけになります。

目的は「不便になること」ではない

ここで重要なのは、不便を我慢することではありません。
「今日はこんなに不便なことをした」と達成感を競うことでもありません。

目的は、自分がどう感じるのかを観察することです。
料理してみたら、
「面倒だった。やっぱり買ったほうがいい」
と思うかもしれません。

それなら、それも一つの発見です。

一方で、「意外と楽しかった」「無心になれた」
「自分で作ったものはおいしく感じた」「誰かに食べてもらうのが嬉しかった」
と感じるかもしれません。

大切なのは、どちらが正解かではありません。
自分で経験したうえで、自分なりの答えを持つこと。

便利さに流されて選ぶことと、経験したうえで便利さを選ぶことは、
同じように見えても意味が違います。

小さな違和感が「当たり前」を見えるようにする

いつもと違うことをすると、少し違和感が生まれます。

その違和感は、「なぜ自分は、いつもこちらを選んでいるのだろう」
と考えるきっかけになります。

すると、それまで見えなかった自分の「当たり前」が見えてきます。

いつもの選択
 ↓
少し外れてみる
 ↓
違和感が生まれる
 ↓
一次経験をする
 ↓
自分の感情に気づく
 ↓
選択肢が増える
 ↓
自分で選び直す

不便益は、この小さな循環を生み出すためのきっかけにもなります。

つまり不便益とは、不便になるための思想ではなく、
無意識になっていた自分の選択を、もう一度自分の手に取り戻すための方法
として考えることもできるのです。

「自分にもできた」が、次の一歩を生む

もう一つ、小さな不便には大切な意味があります。

それは、「自分にもできた」という経験をつくることです。
初めて料理を作った。
一人で知らない場所へ行った。
人前で話してみた。
地域のイベントを手伝った。
何かを修理してみた。
AIに頼らず、自分で文章を書いてみた。

結果は完璧でなくても構いません。
「やってみたら、意外とできた」
という一次経験は、小さな自己効力感になります。

そして、「だったら、これもできるかもしれない」
という次の行動につながります。

人生を変えるというと、大きな決断を想像しがちです。
会社を辞める。
転職する。
移住する。
起業する。
しかし、最初からそんな大きな一歩を踏み出す必要はありません。

むしろ、
小さく試す。感じる。また少し試す。
その繰り返しから、自分の可能性は広がっていきます。

効率化して生まれた時間を、何に使うのか

AI時代には、この問いがますます重要になります。
AIによって1時間かかっていた仕事が20分になった。
そこで生まれた40分を、さらに仕事で埋めることもできます。

でも、その40分を、散歩する。家族と食事をする。本を読む。
何かを作る。地域の活動に参加する。知らない人と話す。
ぼーっとする。といった時間に使うこともできます。

AIが時間を生み出してくれても、その時間をどう使うかまではAIが決めることではありません。
そこには、「自分は何を大切にしたいのか」
という価値判断が必要になります。

だからAI時代に重要になるのは、単にAIを使いこなす能力だけではありません。
AIによって生まれた余白を、自分の人生にどう取り戻すか。

それもまた、新しい時代の大切な能力ではないでしょうか。

「心が動いた瞬間」を見逃さない

小さな不便を試したとき、ぜひ一つだけ意識してほしいことがあります。

それは、自分の心が動いた瞬間を見逃さないこと。です。
「楽しかった」
「もっと知りたい」
「もう一度やってみたい」
「なぜか気になる」
「時間を忘れた」
「誰かに喜んでもらえて嬉しかった」
そんな小さな感覚です。

最初から、
「これは私の天職だ」
「これが人生の目的だ」
と分かる必要はありません。

ほんの小さな、「ちょっと面白い」で十分です。

その小さな感覚の中に、長い間使っていなかった自分の好奇心や、
「やってみたい」という気持ちが隠れていることがあります。

それは、次の行動を生み出す小さな「火種」です。

便利さを捨てるのではなく、自分で選べる人生へ

便利さは、これからさらに進んでいきます。

AIはもっと賢くなり、私たちが自分でやらなくてもよいことは増えていくでしょう。

だからこそ、何をAIに任せるのか。何を便利にするのか。
そして、何をあえて自分で経験するのか。
を自分で選ぶことが大切になります。

便利さに流されるのでもない。
不便さをありがたがるのでもない。
便利さを使いながら、ときにはそこから少し外れて、自分の手でやってみる。

そして、自分がどう感じるのかを確かめる。

便利さを捨てるためではない。
便利さを、自分で選べるようになるために。

その小さな選択の積み重ねから、自分の人生を自分でデザインすることが始まります。

そして、もしその途中で、
「もっとやってみたい」
という小さな火種を見つけたなら、大切にしてみてください。

次の記事では、その火種を手がかりに、
「やりたいことがない」のは、本当にやりたいことがないからなのか
を考えていきます。

「やりたいこと」を頭の中だけで探すのではなく、一次経験の中から、
自分の心が動くものを見つけていきましょう。

まとめ 便利さを捨てるのではなく、「自分で選ぶ」人生へ

便利になることは、決して悪いことではありません。

コンビニもスマートフォンもAIも、私たちの生活を豊かにし、
多くの時間と手間を減らしてきました。

問題は、便利さが当たり前になり、それ以外の選択肢が見えなくなることです。
料理する。歩く。待つ。手を動かす。人と話す。道草を食う。

効率だけを考えれば「無駄」に見える時間にも、身体で感じること、偶然の発見、達成感、
そして「楽しい」「もっとやってみたい」と心が動く瞬間があります。

それが、不便だからこそ得られる「不便益」です。
だから、便利な生活を捨てる必要はありません。

ときどき、この便利さを、本当に自分で選んでいるだろうか。
と問い直してみる。

そして、いつもの選択から少しだけ外れてみる。
少し歩く。
少し手間をかける。
少し道草を食う。

その小さな一次経験から、忘れていた好奇心や「やってみたい」という気持ちが
戻ってくるかもしれません。

AI時代だからこそ、何を便利にし、何を自分で経験するのかを自分で決める。

便利さを捨てるためではない。
便利さを、自分で選べるようになるために。

そこから、小さな「自分イノベーション」が始まります。

この記事のライター

「okinawa未来カレッジ」は、誰もが自分らしい明日へ一歩を踏み出せる、 未来に向かって前進し、新しいライフサイクルを創り出すコミュニティーを目指します。

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