「自分の当たり前」から抜け出せない「症候群」4選

「自分の当たり前」から抜け出せない「症候群」4選

時代の変化の中で、古い思い込みを見直し、「自分の当たり前」から抜け出すことが重要です。今回は、「自分の当たり前」から抜け出せない、代表的な「症候群」を4個ピックアップしてみました。

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目次

自分の当たり前

現在は、変化が激しく、予測不能なVUCA時代。

正解はない時代に、様々な条件の中の最適な答えや、多様な意見の中で皆が納得する答えを見出していく必要があります。

経済成長時代のパラダイム(時代の思考や規範など)に影響された思い込みを見直し、今までの自分にとっての当たり前から抜け出し、新しいものの見方や考え方や行動をしないと立ちいきません。

自分の当たり前や前提も客観的な視点を持ち客観的に考える。クリティカルに考える力、自分を客観的にとらえるメタ認知、何か物事を実行するにあたって適切な行動をするための実行機能など、複雑で不明確な課題を解決するために大切と言われています。

でも、「自分にとっての当たり前」から抜け出せず、変化の時代に対応できていない人はとても多いと思います。

そんな悩みを抱えている日は、先ず、自分が当たり前と思っている考え方や行動に「気づく」ことが、思い込みを見直す一歩だと思います。

今回は、自分の当たり前から抜け出せない、代表的な「症候群」を4個ピックアップしてみました。

皆さんの周辺を見回してみると、「自分の当たり前」から抜け出せない「症候群」は意外と多いかもしれません。

症候群(シンドローム)とは

同時に起きる一連の症候のこと。原因不明ながら共通の病態(自他覚症状・検査所見・画像所見など)を示す患者が多い場合に、そのような症状の集まりに名をつけ扱いやすくしたものである。シンドロームの原義は「同時進行」であり、同時発生様の社会現象などを指す用語としても使われる。

「症候群」で多くみられるのは、とある病気にかかったときに一連して起こる様々な症候。症候は元々、症状を意味していますので、様々な症状が同時に起こるという意味合いで、症候群が使われています。

災害時によく警告されるエコノミークラス症候群、発達障害のひとつでアスペルガー症候群、メンタル不調の燃え尽き症候群など、医学的な様々な症候群があります。

また「同時進行」という原義から、ある原因で同時多発的に生じる社会現象や一連の(良くない)事態を病気になぞらえて呼ぶ接尾語としても用いられる。

医学分野以外では、社会現象としては、超人気アイドルやキャラクターに、同時進行で夢中になる「症候群」もあります。

今回は、同時進行的に起きている、社会現象で一連の(良くない)事態を引き起こす視点から、「自分の当たり前」から抜け出せずに、「一連の(良くない)事態」を引き起こす現象。

同時進行的に起きている社会現象(症候群)にフォーカスしました。

「何かあったらどうするんだ」症候群

「なにかあったらどうすんだ症候群」は元陸上選手の為末大氏がSNSで発信した言葉です。

なにかあったらどうするんだ症候群とその対処法|Dai Tamesue(為末大)

https://note.com/daitamesue/n/n5319467da614

私たちの国は「なにかあったらどうするんだ症候群」にかかっています。この症候群は社会に安定と秩序をもたらしますが、その副作用として社会の停滞を招き個人の可能性を制限します。この症候群には「未来は予測できるものであり、物事はコントロールできるものである」という前提があります。 「なにかあったらどうするんだ症候群」に罹った社会では未来は予測できることを前提としているために、何か起きた時にはどうしてきちんと予測しておかなかったのかと批判されることになります。だから何が起きるかを事前に予測して対処しなければなりません。この症候群に罹った人は、暗黙の前提として物事を未来からの逆算で考えています

私たちの国は「なにかあったらどうするんだ症候群」にかかっています。この症候群は社会に安定と秩序をもたらしますが、その副作用として社会の停滞を招き個人の可能性を制限します。この症候群には「未来は予測できるものであり、物事はコントロールできるものである」という前提があります。

この「何かあったらどうするんだ」症候群は、「未来は予測できるものであり、物事はコントロールできるものである」という前提で、すべてのものごとを考えていきます。この当たり前と思っている前提そのものが、予測が難しくコントロールできない現代に合っていません。

未来は予測コントロールできるという前提(当たり前)

未来は予測コントロールできるという前提(当たり前)のもとで、未来を事前に予測してその逆算で物事を判断することを求められます。

何か起きた時にはどうしてきちんと予測しておかなかったのかと批判されることになります。だから何が起きるかを事前に予測して対処しなければなりません。

何が起きるかを事前に予測するためには、過去の経験値など「自分の当たり前」や「組織の中の当たり前」に基づかないと判断できません。

先例のないことや、過去に経験していないことなど、「自分たちの当たり前」でないことは判断基準に上がってきません。

そうなると、何が起こるかを事前に予測できる当たり前なこと以外、先例がないこと、予測が難しいことは、却下され、対処ができないと評価されます。

だから、「今までの当たり前」のことしかしなくなり、先例のないことで評価が下がるリスクを避けるようになります。

当たり前ではない「想定外」も「危ない」ことだらけの現実

予想してその通りいくことが決まっているならそれは挑戦ではなくただの実行です。予想もしないことが起きることをイノベーションという国もありますが、私たちの国では同じことを「危ない」とか「予想外」という言葉を使います。

日本ではイノベーションが起きづらいと言われています。

「未来は予測できるものであり、物事はコントロールできるものである」という前提(当たり前)で、予測できることを実行し、予測できないことは挑戦しないという「当たり前」がはびこってしまっているためと想像できます。

でも、現状をしっかり見据えると、日々変化する国際情勢、為替や株価、気候変動による異常気象など・・

「想定外」の出来事ごとだらけで、時として命の危険を引き起こす「危ない」状況の連続です。

「何かあったらどうするんだ症候群」は社会全体でかかっている症候

「何かあったらどうするんだ症候群」は個人でかかるものではありません。社会でかかるものです。その罹患者も、自ら望んだわけではなく生まれて育つ間にたくさんの「何かあったらどうするんだ」という言葉にさらされいつの間にか罹患していきました。そういう意味では加害者も被害者もいません。

会社や親や周囲や社会全体がこの症候にかかっているので、「自分たちにとっての当たり前」の以外のことは、予測できないし、コントロールできません。だから、新しいことにチャンレンジしようとしても、それは対処できないリスクになります。

だから、常に、たくさんの「何かあったらどうするんだ」という言葉にさらされ、リスクを排除しようという風土雰囲気の中で、なにかに挑戦することは、リスクになり、周囲から応援されるどころか猛反対に合うことが想像できます。

「自分の当たり前」以外のことは考えない方がいいという回路になってしまいます。

予想不能・コントロール不能なVUCA時代は前提が根本から覆る

21世紀になり、成長社会から成熟社会へ。しかも、変化が激しく予測ができないVUCA時代でもあります。「未来は予測できるものであり、物事はコントロールできるものである」という前提(当たり前)は、根本から覆っています。

一人一人の心配が社会を停滞させています。一人一人の恐怖心が誰かの可能性を奪っています。過去は戻ってこない。未来はどうなるかわからない。考えても答えなんて出てこない。やってみるしかないわけですし、やってみたら違う風景が見えてきます。山頂から何が見えるのかをのぼる前に考えて予想することほど意味がないことはありません。風景を見るには、行ってみるしかないわけです。

経済成長時代のいつまでも右肩上がりの成長が続くと思われた社会は終わり、現在は経済は停滞し、見通しがきかないもやがかかる平坦な高原社会になっています。過去の経験値や成功例などの当たり前は通用しません。

未来が見えない平坦な高原社会では、考えていても答えなど出てこないことも多く、手探りしながら「やってみるしかないわけです」。

だから、「新しい景色」を見つけるためにも、VUCA時代はやってみないとわからないことが多いです。「何かあったらどうするんだ」という自分の当たり前、思い込みを見直し、新しい一歩を踏み出す必要を感じます。

茹でガエル症候群

茹でガエルに関して、ウィキペディアから引用します。

茹でガエル(ゆでがえる、英語: Boiling frog)とは、緩やかな環境変化下においては、それに気づかず致命的な状況に陥りやすいという警句。生きたカエルを突然熱湯に入れれば飛び出して逃げるが、水に入れた状態で常温からゆっくり沸騰させると危険を察知できず、そのまま茹でられて死ぬという説話に基づく。茹でガエル現象(ゆでガエルげんしょう)、茹でガエルの法則(ゆでガエルのほうそく)とも呼ばれる。

問題がある状況下において、何も行動を起こさず、徐々に深刻さが増して最終的に破滅的な事態に達することを「茹でガエル症候群(boiling frog syndrome)」と呼ぶ。

環境の変化に気づいてリスクを察知し、適切な対応をすることの難しさと大切さを表している理論です。

時代とともに環境や状況は刻々と変化しますが、その環境や状況に気付かずリスクを察知できなければ、大きな危機に晒されてしまうという教訓です。

茹でガエル理論は、ビジネスなどで広く使われ始めた

ゆでガエル理論とは――根拠はないのに定着した「教訓」の意味は? - 『日本の人事部』

https://jinjibu.jp/keyword/detl/737/

「ゆでガエル理論」とは、ゆっくりと進行する危機や環境変化に対応することの大切さ、難しさを戒めるたとえ話の一種で、おもに企業経営やビジネスの文脈でよく用いられます。たとえ話にすぎないものの、本質をついていると思われているようです。

寓話として最初に用いたのは、1950~70年代に活躍したアメリカの思想家で文化人類学者、精神医学者のグレゴリー・ベイトソンだといわれています。日本では、経営学者の桑田耕太郎と社会心理学者の田尾雅夫による98年の共著『組織論』が「ベイトソンのゆでガエル寓話」として紹介しています。

『組織論』は、組織論のテクストと言われるほど著名な文献なので、「ベイトソンのゆでガエル寓話」は、そこから広まったと言われています。

企業経営者やマネジメント層、人事関連部署の人たち周辺にとって、この寓話が、人間の本質をついて『思い当たるフシ』があるからだと思います。

日本で、茹でガエル症候群が生み出される背景について、考えてみました。

環境に慣れ「自分の当たり前」が強固になる

環境に慣れることはとても大切です。でも「自分たちの当たり前」以外は考えない、判断基準にない会社組織にいると、先例のないことはリスクになるので却下され、目の前の問題は、過去の経験からの当たり前で解決しようとするので、問題解決になりません。

たとえば、業績の悪化が深刻で、抜本的な収益構造の転換や組織改革の必要に迫られている状態であるにもかかわらず、「うちはこのやり方で伸びてきたのだから」と過去の栄光にすがり続ける経営トップ。そしてそのトップの失政に気づきつつも保身に走って指摘しない役員たち。

そんな組織の中で、そんな環境に慣れていくと、問題の本質や、環境の大きな変化に気づけず、放置し続けるリスク考えられず、新しいことに何もチャレンジしない体質が作られていき、「自分の当たり前」が強固になってしまいます。

会社風土や職場環境に慣れすぎると、技術革新の変化に気付くことも、新しいビジネスモデルによる市場の変化や競合の出現などのリスクに気づくことは難しくなります。業績が悪化しているのに、「自分たちの当たり前」に固執して適切な対応が取れず、「問題がある状況下において、何も行動を起こさず、徐々に深刻さが増して最終的に破滅的な事態」に直面してしまいます。

経済成長時代の成功体験という「自分たちの当たり前」

会社のゆでガエル事例を見ていると、経済成長時代の成功体験が強く残っていて、過去に業績が良かった時のやり方を相変わらず進めてしまっている事例が多々見受けられます。

経済成長の時代は、右肩上がりで市場も拡大し、お客さんの購買ニーズも比較的にシンプル、お客さんの財布も緩いので、良い商品やサービスを提供し続ければ売上は上がり、業績も伸びていた時代でもあります。

だから、過去の成功したやり方を続けていれば、業績が少しぐらい悪くなっても、また景気が良くなれば回復するという過去の成功体験による「当たり前」(「うちはこのやり方で伸びてきたのだから」)が繰り返されています。

でも、成長時代から成熟時代へ、ものは溢れ、情報も溢れ、お客さんのライフスタイルも価値観も多様化しています。しかも、技術革新がどんどん進みビジネスモデルもどんどん進化し、競合も進化している中で、その変化を察知して、適切な変化への対応を取らなければなりません。

過去の、経済成長時代とは環境が全く違っています。だから過去の成功体験にもとづく「当たり前」なやり方は見直ししていかないと、気がつかない間に、ゆでガエル状態に陥って、事態はどんどん深刻になり破滅的な事態になっていまいます。

代々受けついでいる額に汗して頑張るという「当たり前」

経済成長時代は、ものを作れば売れる時代でもあったので、考える前に行動する、額に汗して頑張ることが「当たり前」な時代でもあります。

大量生産大量消費の時代でもあったので、いかに数をこなすかが重視されていました。理屈ばかりこねて行動しない社員はできない社員というレッテルも張られていました。

その考える前に行動する、額に汗して頑張るという「当たり前」は、上司から部下へ、先輩たちから後輩に、代々受けつがれています。

特に、経済成長時代に業績を大きく伸ばしたモーレツ環境の企業では、その傾向が強いと思います。

この額に汗して頑張るという風土文化は、今の時代でもとても重要です。でも、成熟社会になり、環境の変化が目まぐるしい現代では、しっかりと現状分析し、打ち手をしっかり考えて対処する。トライアンドエラーで行動して、その結果をフィードバックし成果を高めていくことが重要な時代です。

ひたすらに、考える前に行動する、額に汗して頑張るという「当たり前」では結果が出せません。

緩い環境変化を察知する「異質なことへの想像力の欠如」

「自分たちの当たり前」が強ければ強くなるほど、異質なことへの想像力(イマジネーション)の欠如という問題が起きてきます。

例えば、10年前には、「相対的貧困」は、「普通の生活が当たり前」で、具体的な事例に触れることのない議員たちとって、大きな議題に上がっていませんでした。

男女間格差や非正規格差なども、「自分にとって当たり前」が強いと、「他者にとっても当たり前」と勘違いしてしまいます。

カスタマーハラスメントの主役と言われ、正義を振りかざす中高年は、「自分にとって当たり前な正義」は、「社会にとっても当たり前」だと勘違いして、時代の変化による、自分とは違う価値観やライフスタイルなど「新しい当たり前」への想像力(イマジネーション)の欠如が考えられます。

ゆっくり迫ってくる危機や環境の変化に対しても、「自分にとって当たり前」でない異質な変化は、想像できず、気づかないとも考えられます。
緩やかな環境の変化に気づいても、「自分にとっての当たり前」なやり方で何とかなると考えているのかもしれません。

変化の激しい時代。表面的には緩やかに見えても、水面下では大きな変化が起きている可能性が高いです。今までの自分の当たり前に固執し、新しい視点や新しい考え方を持てず新しいやり方に挑戦して行くために、「異質なことへの想像力」を鍛え気づきを広げることが重要だと思います。

「自分が苦労してきたんだから他人にも同じ苦労をさせたい」症候群

この興味深い症候群は、こちらの記事から引用させていただきました。

「9時〜17時勤務を嫌がる米国人女性」に喝! サラリーマンが患う“症候群”とは

https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2311/21/news072_3.html

会社で「9時から17時まで働く」ことはおかしいのか。「むしろ短い」「もっと働け」といった声も聞こえてきそうだが、米国の若い女性がこのことを訴えて話題になっている。SNSなどの反応を見ていると、日本を蝕む“病”がはびこっていて……。

読んで字の如(ごと)しで、会社や家庭、さらには町内会やPTA、部活動など日本社会のあらゆる組織の中にある「病」である。明らかに無駄で効率の悪いことや、理不尽なしきたりなどを金輪際やめようとすると、どこからともなく「これまでみんなやってきたことだから」というワケの分からない理屈でねじ伏せる力学が働く。ビジネス系の情報サイトやコンサルタントなどのブログで定期的に盛り上がるテーマなので、ビジネスパーソンならば一度は耳にしたことがあるはずだ。人によっては「自分のした苦労は、部下にもさせたい病」などと呼んでいる。

日本にはびこる同調圧力の中で、やっかいなのは、この症候群かもしれません。

「皆やってるんだからお前もやれよ!」病
https://lonewolfponpoko.hatenadiary.com/entry/20170911/1505123178
ともよばれています。

「自分の当たり前だった苦労」は、「他人も当たり前に苦労すべき」という発想。
しかも、その発想をあらゆる場面で、立場を使って強要してくること。

ここには、みんなでよりよくなろうとする考え方や行動が全く見えません。

足を引っ張る日本人

こちらの記事で、日本人は「他人の足を引っ張る」傾向が強いと書きました。

「変わることを難しくさせる」様々な「変化への抵抗」 | 新しい生き方働き方暮し方ブログ

https://atarashiihatarakikata.com/articles/17

変化が激しい時代に、変化への対応を妨げる様々な要因があります。変わりたくても変われない、変わることを難しくさせる様々な「変化への抵抗」について、「個人の特性」と置かれている「環境」という視点から考えていきます。

大阪大学社会経済研究所の西條辰義教授(現高知工科大学経済・マネジメント学群特任教授)らの研究によると、日本人は米国人や中国人と比較して他人の足を引っ張る傾向が強いとの結果が得られたそうです。

「誰かが頭ひとつ飛び出て幸せになるくらいならば、みんなが等しく沈んで不幸になったほうがマシ」というような、かなりひねくれた「平等原理主義」があるのだ。 このあたりのカルチャーに、日本社会の「パワハラ」「長時間労働」「低賃金」といった諸問題の「病巣」があるような気がするのは、筆者だけだろうか。

このひねくれた「平等原理主義」という当たり前は、経済成長時代の右肩上がりが続き、社会全体が比較的余裕があり、権利を主張する声が大きい方が
言ったもの勝ちのような風土から生まれたように感じる。

今、社会問題になっているカスタマーハラスメントやネットでの誹謗中傷も根っこに同じものがありそうです。

この発想には、自分は良くなれないという「当たり前」な諦めがあると同時に、みんな一緒に沈んで不幸になっても社会は成り立つという思い込みが含まれていると思います。

でも、現状はそう甘くない。日本の国力がどんどん低下し、社会が分断し、モチベーションも低く、社会的つながりも弱く、他者との関係性も構築できない人も多い現状では、本当に社会が沈んで行ってしまう可能性があります。

だから、「自分の当たり前」にしている思い込みを見直し、「足を引っ張り合う持続可能な社会に向けて、自分らしさを認め合い、互いの長所を生かし支え合う、「当たり前」に転換していきたいですね。

いい子症候群

いい子症候群いい子とは

いい子症候群のまま大人になるとどうなる?チェックと治し方を紹介

https://sanyokai-clinic.com/kokoro/7945/#:~:text=%E3%80%8C%E3%81%84%E3%81%84%E5%AD%90%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%AF,%E3%81%AA%E3%81%A9%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

「いい子症候群」とは、周囲からの期待に応えようとして、自分の気持ちを抑え込む状態です。子どもだけでなく大人にも見みられ、一見問題がないように思え見えますが、深刻な影響を及ぼす可能性があります。 いい子

「いい子症候群」とは、周囲からの期待に応えようとして、自分の気持ちを抑え込む状態です。子どもだけでなく大人にも見みられ、一見問題がないように思え見えますが、深刻な影響を及ぼす可能性があります。

親や周囲が過度な期待をかけすぎることで、子供が親や周囲からの期待に応えることに必死になり、自分の気持ちや感情を抑え込んでしまいます。

例えば、親の機嫌が悪くならないよう常に親の顔色を伺う、親が望むようなことばかりいつも考える、親から叱られる内容に失敗を避けるなど。

いつも、相手を優先し、自分の都合は後回し、上司や同僚からの頼み事には断れない、要領のいいひとに利用され損な役回りばかり受けてしまうなど、親や周囲の過度な期待に応えようとするあまり、過度な要求にも逆らえなくなっていきます。

他人の期待や要求を満たすことにエネルギーを費やし、自分の感情や欲望を抑え、自分を犠牲にすることが「当たり前」になっていきます。

自分の感情や欲求を抑えてしまうので、自分の本当に望むことやりたいことなどわからなくなり、自己犠牲が「当たり前」になることで、自尊感情や自己肯定感が低下してしまう傾向があるようです。

自己の価値が他人からの評価や承認に依存してしまう

子どもを「いい子症候群」にさせないために保護者ができることは? 【いい子症候群チェックリスト付き】 | こそだてまっぷ

https://kosodatemap.gakken.jp/life/family/73710/#:~:text=「いい子症候群」の子ども,恐れもあるのです%E3%80%82

「いい子症候群」ということばを聞いたことがあるでしょうか。「いい子」とはほめことばのはずなのに「症候群」とはなんなのか、どのような症状なのか、いい子だといけないのかなど、いろいろな疑問が湧いてきます。 そこで本記事では、「いい子症候群」とはなんなのかをはじめ、

周囲からの期待が続くと、いい子症候群の子どもは自己価値を外部化する傾向があります。
つまり、自己価値は自分自身の内面的な感情や欲求よりも、他人からの評価や承認に依存するようになるのです。これは自己を否定し、他人の期待を満たすことに価値を見いだすパターンともいえるでしょう。

まさしく、「他人軸」で人生を送るようになり、いつも誰かに依存してしまい、「自分軸」で何かにチャレンジしたり、自分で責任を持って何かを決めることをしなくなります。責任を「自分軸」で取らない習慣が続くと、誰かのせいと自分以外に責任転嫁することが「当たり前」になります。

自覚がないまま「いい子症候群」が進行してしまう

「いい子症候群」の子どもは、保護者がいないと自分の望みややるべきことがわからなかったり、自分で責任をもって決めることができなかったりします。自覚がないまま押さえつけられている状態が続くと、感情を溜め込んだ反動でキレる、外での非行に走るなど、極端な形で暴発してしまう恐れもあるのです。

これがとても恐ろしいのは、幼い頃から親や周囲の期待や要求に応える毎日では、それが「当たり前」になり本人が自覚がなく、自分の気持ちを抑えてしまい、その抑えた気持ちがどんどん溜め込まれてしまうこと。この記事にあるように、『感情を溜め込んだ反動でキレる、外での非行に走るなど、極端な形で暴発してしまう』危険性があります。

「いい子症候群」の子供たちが大きくなったらどうなるのか?

イノベーションとモチベーションの研究者で、金沢大学と東京大学で教鞭を取る著者の金間大介氏が、学生たちと接触する中で、今の若者たちが抱える複雑で微妙な心理や、行動原則を徹底分析した『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』という本の中で詳しく述べています。

著者自身の記事や、本に対する処方からその実態を見ていきます。

みんなの前で褒められることを嫌う「いい子症候群の若者」

「いい子症候群の若者」たちの当たり前な心理特性や行動特性について、こちらの書評がとても的確に書いています。

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』金間大介著(東洋経済新報社) 1650円

https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/review/20220418-OYT8T50097/

【読売新聞】評・中島隆博(哲学者・東京大教授) 突き刺さってくる書名だ。それは、著者の言う「いい子症候群」を象徴している。「いい子症候群」とは、素直でまじめないい子が有する、目立ちたくない、理想は均等分配、自分では決められない、周り

「いい子症候群」とは、素直でまじめないい子が有する、目立ちたくない、理想は均等分配、自分では決められない、周りから浮くことばかり気になる、安定した仕事を優先し、主体性の要求されないお膳立てされた社会貢献には関心がある、などの行動原則である。その根底には、自分に自信がない、他者の視線に恐怖を感じることがあるという。

この内容と重複しますが、「いい子症候群」の若者たちの「当たり前」な心理状況が見えてきます。

横並びでいたい、浮くのが怖い、ほめられたくない、目立ちたくない、埋もれていたい、成功した人もしていない人も平等にしてほしい、浮いたらどうしようといつも考えているなどなど・・・

幼い頃から、親や周囲の期待に応え、他人の期待や欲求にばかりエネルギーを注ぐことが「当たり前」に成長していくとこうなるということはなんとなく想像できます。

「いい子症候群の若者」のねじれた感情

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』の作者の記事から引用します

“素直で真面目”なのに意志を感じない...なぜ現在の若者は目立ちたくないのか

https://voice.php.co.jp/detail/10137

真面目でいい子だけど、物足りない新入社員。若者が消極的な振る舞いをする原因には、何があるのだろうか。金沢大学融合研究域融合科学系教授の金間大介氏が解説する。

承認されたいのに満たされないという、「いい子症候群の若者」のねじれた感情や、心理をこじらせる実態が見えてきます。

承認欲求は強いが目立ちたくないというこじれた感情。基本的に、いまの若者の承認欲求は強い。だがしかし、承認欲求が満たされること以上に、目立ち、浮いてしまうことへの恐怖のほうが強いのだ。

彼らのなかでは、承認欲求はあっても、「集団のなかで目立たないこと」当たり前が何よりも優先される。承認されること以上に、目立つことで自分が浮いてしまう恐怖が勝ってしまうというこじれた感情になってしまいます。

自分で物事を決められず責任を回避する
また、いい子症候群の若者たちには、自分で何かを決めるのが苦手という特徴もある。そのため、「誰かに決めてもらう」「前例にならう」「みんなで決める」という方法をとろうとし、自らの責任を回避しようとする。こうした傾向からも、自己肯定感の低さが見てとれる。

責任を回避しているうちに常に誰かに責任を転嫁してしまう、自尊感情や自己肯定感が育たない、「自分軸」で何かを決め、責任を持って、チャレンジすることができなくなってしまいます。

「普通」を求める若者たち

今の若者「皆の前でほめられたくない」心理の正体

https://toyokeizai.net/articles/-/592314?page=5

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい: いい子症候群の若者たち』(東洋経済新報社)の著者、金間大介氏が指摘しているように、いまの若者に対して「素直でいい子」「まじめでいい子」という印象を抱いている上…

自分は特別なことを望んではおらず、毎日、平穏に過ごせればいいというような状態を、彼らは「普通」と呼ぶのだ。

『先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち』本の中に具体的な事例が出ています。

休んだら、講師からのみならず、友だちの間でも目立つかもしれない。休んだことが話題になるかもしれない。自分がいない間に何か自分の話をしているかもしれない。それが落ち着かない。だからちゃんと朝起きて、1限に出て、その他大勢の一員となることで安心する。

設定された1限の授業は自分だけ出ないと、「なんとなく不安になる」。
板書(最近はスライド)はちゃんとノートに写し、大事だと言われる部分はちゃんと下線を引く、座席も指定されたら従う。

言われたことをつつがなくこなし、できる限りその他大勢の一員となり、日々平穏な「普通」な当たり前の生活を望む。

でも、筆者が指摘しているように、『仕事の現場に「普通」はありえない。次から次へと問題が起こり、現場にいる人の神経をすり減らす。』ことが「普通」で当たり前です。

まして、変化が激しいVUCA時代に突入した現代では、日々、目の前のことに試行錯誤しながら全力を尽くし、トライアンドエラーで成果を上げていくことが「普通」になっていきます。

大人の「当たり前」が空気感染している

これを生み出したのは大人ではないのか。「挑戦が成長につながることを実感できないのは大人であり、一度失敗すると 這い上がれないと思っているのも大人であり、既得権信者もやはり大人である」。それが「子どもたち、若者たちに空気感染する」のだ。

親や周囲の大人たち自身が「いい子症候群」にかかっていて、それが子供たちに感染している。

子どもたちは親の背中を見て育つと言われます。地域コミュニティーが崩壊し、限られた関係の中では、家庭の中や親に近い人達が自分の教科書になっていると思われます。

その親や周囲の大人たちが、日頃どのように子供たちと接しているか?

親や周囲の過度な期待・過度な要求を求める同調圧力の中で、無意識のうちに「いい子」が拡大される。ある意味では、社会全体が「いい子症候群」を生み出しているとも考えられます。

まとめ

自分の当たり前から抜け出せない、代表的な「症候群」を見てきました。

1、「何かあったらどうするんだ」症候群
2、茹でガエル症候群
3、「自分が苦労してきたんだから他人にも同じ苦労をさせたい」症候群
4、いい子症候群

4つの症候群に共通する根っこは同じように思います。
その根っこから派生した症候群はまだまだあるように思います。

では、どうしたらそれらの症候群から逃れられるか?

やはり、
先ずその症候群に気づくこと。
その症候群にかかっていない安心できるもう一つの「居場所」を探すこと。

同じ症候群の中で、様々な抵抗の中で、もがくより手っ取り早い方法のように思います。

先生、どうか皆の前でほめないで下さい いい子症候群の若者たち

この記事のライター

「okinawa未来カレッジ」は、誰もが自分らしい明日へ一歩を踏み出せる、 未来に向かって前進し、新しいライフサイクルを創り出すコミュニティーを目指します。

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