「みんなと同じように生きていれば、ある程度安心できる。」
かつての日本には、そんな人生モデルがありました。
いい学校へ進学し、いい会社に就職する。
会社で真面目に働けば、年齢とともに収入が上がる。
結婚し、マイホームを持ち、子どもを育て、定年まで働く。
そして、老後は年金で暮らす。
誰もが同じ人生を歩んだわけではありません。
それでも、社会の中には「こう生きるもの」という共通の人生モデルが存在していました。
ところが、「失われた30年」を経て、その前提は大きく変わりました。
経済、雇用、人口、働き方、そしてAIなどのテクノロジー。
社会が変わったにもかかわらず、私たちは今も、かつての人生モデルを引きずっていないでしょうか。
変わったのは、社会だけではありません。
私たちの人生そのものを考える「前提」が変わったのです。
「みんな一緒の人生モデル」は、なぜ成立したのか
「みんなと同じように生きる。」
今の時代には、少し窮屈に感じる言葉かもしれません。
でも、かつての日本では、それが必ずしも悪い生き方ではありませんでした。
むしろ、社会の環境に適応するための、合理的な人生戦略でもあったのです。
その背景にあったのが、高度経済成長を中心とした日本の社会システムでした。
人口が増える。
企業が成長する。
工場が増える。
仕事が増える。
賃金が上がる。
消費が拡大する。
そして、さらに企業が成長する。
このような成長の循環の中で、多くの人が同じ方向を目指すことには、大きな意味がありました。
■「社会の成長」と「個人の人生」がつながっていた
工業化社会では、大量生産・大量消費を前提として企業が拡大していきました。
企業が成長すれば雇用が生まれ、働く人が増える。
働く人の所得が増えれば、住宅や家電、自動車などの消費が拡大する。
消費が増えれば、さらに企業が成長する。
こうした経済成長の循環の中では、
「会社が成長すること」と「自分の生活が豊かになること」
が比較的つながりやすかったのです。
だからこそ、
いい学校に入る
↓
いい会社に入る
↓
会社で真面目に働く
↓
年齢とともに給料が上がる
↓
結婚して家庭を持つ
↓
マイホームを購入する
↓
定年まで働く
↓
年金で老後を暮らす
という人生モデルが、多くの人にとって現実的な選択肢になりました。
もちろん、誰もがこの道を歩んだわけではありません。
女性の就業、非正規雇用、自営業、地方と都市の違いなど、実際の人生はもっと多様でした。
それでも社会全体として、「こう生きるのが普通」
という共通の人生モデルが存在していたことは確かです。
■「みんな一緒」には、理由があった
ここで重要なのは、当時の人々が単純に「周りに合わせていた」と考えないことです。
社会の変化が比較的小さく、将来の見通しが立ちやすい環境では、先行者になるよりも、
社会にすでに用意されている道を歩くことのほうが合理的でした。
学校に行く。
会社に入る。
仕事を覚える。
会社の中で昇進する。
家族をつくる。
家を買う。
老後に備える。
この人生モデルは、個人が毎回ゼロから人生の選択肢を考えなくても済む
「社会の標準コース」だったのです。
言い換えれば、人生の設計図が、個人の外側である程度用意されていた。
しかも、その設計図は国や社会や企業が強力に進めていたもの。
だから、自分で人生を細かくデザインする必要性も、今ほど高くありませんでした。
■「環境が人をつくる」という視点
人の価値観や行動は、その人の性格だけで決まるものではありません。
家庭、学校、地域、会社、社会制度、経済環境など、周囲の環境から大きな影響を受けます。
特に、日本人は周囲の環境の影響を受けやすい人が多いようです。
「安定した会社に入ることが大切」
「一つの会社で長く働くことが良い」
「結婚して家庭を持つことが一人前」
「家を持つことが人生の成功」
「周囲と同じようにすることが安心」
こうした価値観も、個人が突然思いついたものではありません。
その時代の社会環境の中で、繰り返し学習され、身につけられていったものです。
だからこそ、
「みんな一緒の人生モデル」は、単なる古い価値観ではありません。
それは、当時の社会環境と整合した、ひとつの「人生のOS」だったのです。
そして、このことを理解すると、次の問題が見えてきます。
もし、社会の環境そのものが大きく変わったとしたら。
かつて合理的だった人生OSは、今も合理的なのでしょうか。
「みんなと同じように生きれば安心」という前提が成立していた社会から、
私たちはすでに大きく離れています。
にもかかわらず、人生の判断だけは、今も昔のルールで行っていないでしょうか。
ここから、「失われた30年」が私たちの人生に与えた影響を見ていく必要があります。
失われた30年で「人生を支えていた前提」が崩れた
「みんな一緒の人生モデル」が成り立っていた背景には、日本経済の成長がありました。
企業が成長する。
雇用が増える。
賃金が上がる。
生活が豊かになる。
前の章で見たように、企業や経済の成長と、一人ひとりの生活の向上がつながりやすかったから
こそ、「いい学校に入り、いい会社で真面目に働く」という人生戦略にも合理性がありました。
でも、1990年代以降、その土台が大きく変わっていきます。
■「成長する社会」から「コストを削る社会」へ
大きな転換点となったのが、バブル経済の崩壊です。
バブル崩壊後、日本は長期的な低成長とデフレの時代に入ります。
需要が伸びない。
モノの価格を上げにくい。
売上も伸びにくい。
そうした環境の中で、多くの企業が利益を確保するために選んだのが、
コストを削ることでした。
人件費を抑える。
設備投資を抑える。
仕入れ価格を抑える。
商品の価格もできるだけ上げない。
1990年代後半以降、日本ではこうした「コストカット型経済」が長期化ししました。
企業は売上を大きく伸ばすよりも、コストを削減することで利益を確保する傾向を強め、
設備投資も抑制されました。
企業からすれば、厳しい経営環境を生き残るための合理的な行動です。
しかし、多くの企業が同じ行動を取れば、社会全体では別の問題が起こります。
企業が人件費を抑える。
↓
働く人の賃金が伸びない。
↓
消費が伸びない。
↓
企業も価格を上げられない。
↓
さらにコストを削る。
こうした循環が長く続くことになります。
日本社会は、「成長によって豊かになる社会」から、「コストを抑えることで現状を維持する社会」へ大きく性格を変えていったのです。
■「会社の成長=自分の生活向上」ではなくなった
この変化は、私たちの人生にも大きな影響を与えました。
かつて誰もが期待できた、
企業の成長
→ 雇用の安定
→ 賃金上昇
→ 生活向上
という循環が、以前ほど機能しなくなったからです。
会社で真面目に働き続けても、以前のように賃金が上がるとは限らない。
勤続年数を重ねれば、自然に生活が豊かになっていくとも限らない。
さらに企業が雇用を維持しながら人件費を抑える中で、非正規雇用が雇用調整の役割を担う構造も
広がっていきました。正社員の長期雇用を維持する一方、非正規社員が調整弁となってきたことが
指摘されています。
ここで重要なのは、
「会社がなくなった」とか、「終身雇用が完全に消滅した」という話ではありません。
もっと大きな変化です。
「会社に入って真面目に働いていれば、会社の成長とともに自分の生活も豊かになっていく」
という人生の前提が、以前ほど確かなものではなくなった。ということです。
■「みんな一緒」なのに、同じ未来にはたどり着けない
社会の前提が変わっても、人生モデルはすぐには変わりません。
「いい学校に入る」
「いい会社に入る」
「正社員になる」
「一つの会社で長く働く」
「真面目に働いていれば将来は安心」
という価値観は、その後も社会の中に残り続けました。
ここに、失われた30年を人生の視点から考えるうえで重要な問題があります。
かつては、
みんなと同じ道を歩く
↓
ある程度、同じように生活が向上する
という期待がありました。
でも、その土台が崩れてくると、同じように頑張っていても、同じ未来にはたどり着けない
ということが起こります。
正社員か非正規か。
大企業か中小企業か。
成長産業か衰退産業か。
都市か地方か。
就職した時期はいつだったのか。
どのような家庭環境だったのか。
など・・・
さまざまな条件によって、人生の結果に違いが生まれやすくなっていきました。
■「頑張っても報われない」という感覚が生まれた
こうした変化の中で広がったのが、
「自分は頑張っているのに、なぜ生活が良くならないのだろう」
という感覚です。
極端な貧困状態ではなくても、生活保護の対象になるほどではないものの生活に困難を抱える「マイルド貧困」、従来の社会保障制度では捉えにくい「曖昧な弱者」が増加し、自分だけが割を食っているように感じる「相対的剥奪感」が蔓延しているようです。
「失われた30年」がもたらしたものは、所得や経済成長の停滞だけではありません。
「頑張っていれば、未来は今より良くなる」という期待そのものが持ちにくくなった。
ここに、人生という視点から見た「失われた30年」の大きな意味があります。
しかし、さらに重要な問題があります。
社会の前提がこれほど変わったにもかかわらず、私たちの中には、
「みんなと同じ道を歩けば安心できる」という人生モデルが残り続けたことです。
社会は変わったのに、人生の「正解」は昔のまま。
このズレこそが、次に考えなければならない問題です。
社会は変わった。でも「人生OS」は変わらなかった
失われた30年を通じて、社会の前提は大きく変わりました。
経済は右肩上がりではなくなった。
会社に入れば、年齢とともに収入が上がるとは限らなくなった。
働き方も多様化した。
「みんなと同じ道を歩けば、同じように豊かになれる」という前提も揺らいでいきました。
それなら、私たちの生き方もすぐに変わったのでしょうか。
実際には、そう簡単ではありませんでした。
社会の環境が変わっても、その環境の中で身につけた価値観や行動様式は、
すぐには変わらないからです。
■人は「環境」の中で人生の常識を身につける
私たちは、生まれたときから自分の人生観を持っているわけではありません。
家庭で、「安定した仕事に就きなさい」と言われる。
学校で、「いい成績を取って、いい学校へ行く」ことを目標にする。
就職すると、「組織の中で評価される人になる」ことを求められる。
周囲を見れば、同じような年齢で就職し、結婚し、家を買い、子どもを育てている。
こうした環境の中で長く生活していれば、
「人生とは、こういうものだ」
という考え方が身につくのは自然なことです。
この問題を「環境が人をつくる」という視点から捉えてみます。
人の行動は、本人の性格や能力だけで決まるのではなく、家庭、学校、会社、地域、社会制度など、その人を取り巻く「場」から大きな影響を受けるという考え方です。
つまり、「みんな一緒の人生モデル」は単なる社会制度ではありません。
長い時間をかけて、私たちの中に人生の常識として取り込まれていったのです。
■「みんな一緒」が合理的だった時代
高度経済成長期の日本では、「みんなと同じ道を歩く」ことには合理性がありました。
社会の側に、ある程度明確な成功モデルがあったからです。
いい学校に入る。
いい会社に入る。
会社の中で評価される。
周囲とうまく協調する。
与えられた役割をきちんと果たす。
こうした行動を続けることが、雇用の安定や生活の向上につながりやすかった。
だからこそ、「自分は何をしたいのか」よりも、「社会から何を求められているのか」を
考えることにも合理性がありました。
自分で人生の正解を一からつくるより、社会に存在する正解に適応した方がリスクが小さかった
のです。
この昭和の経済成長時代に形成された人生の考え方を、ここでは便宜的に「昭和OS」と
呼んでみましょう。
■「昭和OS」とは何か
昭和OSとは、「昭和の人は古い」という世代論ではありません。
高度成長期を中心とする社会環境の中で合理的だった、人生を動かす基本的なルールのことです。
たとえば、
「いい学校から、いい会社へ」
「一つの会社で長く働く」
「正社員になる」
「組織の中で評価される」
「周囲と同じであることが安心」
「失敗しないことが大切」
「与えられた役割をきちんと果たす」
といった考え方です。
これらが間違っているわけではありません。
問題は、そのルールが生まれた社会環境の方が、大きく変わったことです。
OSはそのままなのに、動かす社会が変わってしまった。
社会環境は変わっても、人の意識や価値観は変わらず、国の制度もそのまま、企業や学校の慣行も変わらない。
ここに、現代の生きづらさを理解する一つのヒントがあります。
■環境が変わっても、人はすぐには変われない
一般の企業であれば、市場環境が変われば戦略を見直します。
商品が売れなくなれば、顧客を調べる。
技術が変われば、設備を変える。
競争相手が変われば、ビジネスモデルを見直す。
でも、人間はそう簡単ではありません。
長い年月をかけて身につけた価値観は、社会が変わったからといって、すぐには書き換わりません。
むしろ、不確実性が高くなるほど、
「安定した会社に入りたい」
「失敗したくない」
「周囲から外れたくない」
と、過去の成功モデルに安心を求めることもあります。
その結果、社会環境は新しくなったのに、人生の判断基準は古いまま
というズレが生まれます。
■「環境とのズレ」を「自分の問題」だと思ってしまう
このズレの厄介なところは、本人には見えにくいことです。
しかも、自分を取り巻く周辺の人たちも同質化していると同じように、ズレが見えていない。
たとえば、
「会社で評価されない」
「収入が上がらない」
「正社員になれない」
「キャリアから外れてしまった」
「周囲と同じ人生を歩めなかった」
ということが起きたとします。
すると私たちは、
「自分の能力が足りない」
「もっと頑張らなければ」
「自分は負け組なのではないか」
と考えがちです。
しかし、別の見方もできます。
本人の能力だけではなく、本人と環境との組み合わせが変わってしまったのではないか。
かつての環境に適応するために身につけた価値観や行動様式が、新しい環境ではうまく機能
しなくなっている可能性があります。
だとすれば、必要なのは「自分を責めること」でも、「諦めること」でもはありません。
まず、「自分は、どんな前提を当たり前だと思っているのか」
を見直すことです。
■過去の成功モデルが、未来の選択肢まで狭める
そして、もう一つ大きな問題があります。
過去の人生モデルによる価値観や常識は、現在の自分を縛るだけではありません。
未来の選択肢まで狭めてしまうことがあります。
「50代から新しいことを始めても遅い」
「地方にいたら仕事はない」
「正社員でなければキャリアとは言えない」
「一度レールを外れたら戻れない」
「特別な才能がなければ起業なんてできない」
など・・・・
こうした前提を持っていれば、新しい選択肢が目の前に現れても、
「自分には関係ない」と最初から除外してしまいます。
取り巻く環境は選択肢が増えているのに、自分の中の人生モデルが、それを選択肢として
認識させてくれないのです。
この状態を、過去の成功モデルによる「未来の植民地化」という視点から捉えています。
過去の常識によって、まだ起きていない未来まで決めてしまう。
これは、これから人生をデザインするうえで見逃せない問題です。
■必要なのは「昭和OS」を否定することではない
だからといって、これまでの価値観をすべて捨てる必要はありません。
真面目に働く。
約束を守る。
組織の中で協力する。
長く一つのことを続ける。
相手の立場を考える。
など・・・
こうした資質は、これからも大切です。
むしろ、AI時代には別の形で価値を持つ可能性があります。
問題なのは、資質そのものではなく、「それを、どんな前提のもとで使うのか」です。
古いOSを全部消去するのではない。
環境の変化を理解し、残すものと書き換えるものを自分で選ぶ。
ここに、「自分で人生をデザインする」という考え方への入口があります。
そして今、その必要性はさらに高まっています。
AIと人口減少によって、私たちを取り巻く環境が、もう一度大きく変わり始めているからです。
失われた30年の常識さえ、これからは通用しなくなる可能性があります。
次に、いま起きている「新しいゲームのルール」を見ていきます。
AI・人口減少で「ルール」が再び変わる
失われた30年の中で、日本社会を支えてきた前提は大きく変わりました。
そして今、もう一つ重要な変化が始まっています。
それは、「失われた30年の常識」そのものが、通用しなくなり始めている
ということです。
その大きな要因が、人口減少・人手不足、そしてAIの急速な進化です。
これらは、単に「人が減る」「仕事がAIに奪われる」という話ではありません。
もっと大きく捉えると、「誰が、どこで、どのように価値を生み出すのか」という仕事のルール
そのものを変える可能性があります。
■「人が余る時代」から「人が足りない時代」へ
失われた30年では、企業にとって人件費を抑えることが重要な経営課題の一つでした。
でも、現在、その前提が変わり始めています。
日本経済の変化として、
・物価高
・記録的な賃上げ
・価格転嫁の進展
・深刻な人手不足
という大きな潮流が指摘されています。
特に重要なのが、人口減少を背景とした構造的な人手不足です。
企業にとって、「人をいかに減らすか」だけではなく、
「必要な人材をどう確保し、どう活かすか」
が重要な経営課題になっています。
これは、働く側から見ると大きな意味を持ちます。
失われた30年の中で形成された、
「人件費=できるだけ抑えるコスト」
という発想から、
「人=価値を生み出す希少な資源」
へと、人を見る前提そのものが変わる可能性があるからです。
■人手不足だから「人の仕事が増える」とは限らない
一方で、ここにAIというもう一つの大きな変化が重なります。
人口減少によって人が足りなくなる。
その一方で、AIによって多くの業務を自動化・効率化できるようになる。
一見すると、矛盾しているように見えます。
でも、この二つは同時に進んでいくと考えた方がよいでしょう。
つまり、
「人が足りないから、今までと同じ仕事を人間がそのまま続ける」のではない。
AIやデジタル技術を使って仕事そのものを組み替え、そのうえで、
「人にしかできないことに、人の力を使う」
方向へ仕事が再設計されていく可能性があります。
もちろん、そのバランスや再設計への実現は産業や企業によってもまちまちです。
ここに、これからの仕事を考える重要なヒントがあります。
■「何を知っているか」だけでは差がつきぬくくなる
これまでの社会では、知識を持っていることそのものに大きな価値がありました。
専門知識を覚える。
情報を集める。
文章を書く。
資料をまとめる。
計算する。
分析する。
など・・・
こうした能力は、教育や仕事を通じて身につける重要なスキルでした。
でも、生成AIは、その一部を短時間で支援できるようになっています。
だからといって、人間の知識や経験が不要になるわけではありません。
むしろ重要になるのは、「知識を持っているか」から、「知識やAIを使って、どんな価値を
生み出せるか」への転換です。
AIに何を問いかけるのか。
出てきた答えをどう判断するのか。
現場の状況にどう当てはめるのか。
相手が本当に困っていることは何か。
どんな価値を提供すれば喜ばれるのか。
こうした部分では、人間の経験や判断、関係性、価値観が重要になります。
■「効率よく処理する人」から「価値をつくる人」へ
これは、失われた30年の経済モデルとの大きな違いでもあります。
コストカット型経済では、いかに安く、速く、効率よく処理するかが重視されました。
でも、人手不足とAIが同時に進む社会では、効率化できる部分はAIやデジタル技術へ
移っていきます。
そのとき、人間には、
「何をするべきか考える」
「相手のニーズを理解する」
「人と人をつなぐ」
「現場の問題を発見する」
「新しいサービスを考える」
「信頼関係をつくる」
といった、より価値創造に近い役割が求められるようになります。
つまり、「作業をこなすこと」から「価値をつくること」へ。
仕事の重心そのものが変わっていく可能性があります。
■仕事の地図は塗り替わっていく
こうした変化は、既存の仕事が単純になくなるという話でもありません。
ある仕事の一部がAIに置き換わる。
別の仕事では、人手不足によって価値が高まる。
AIを使うことで、一人の人間がこれまでより多くのことをできるようになる。
これまで別々だった仕事が組み合わされ、新しい役割が生まれる。
つまり、これから起きるのは、
「仕事がなくなる」というより、「仕事の地図が塗り替わる」
と考えた方がよいでしょう。
どのような仕事が増え、どのような仕事の価値が変わるのかについては、
別記事
「【仕事の地図は塗り替わる】AI・人口減少が変える『新しい仕事』のルール」で詳しく取り上げています。
ここで重要なのは、その変化が「仕事」だけにとどまらないことです。
【仕事の地図は塗り替わる】AI・人口減少が変える「新しい仕事」のルール | 新しい生き方働き方暮し方ブログ
https://atarashiihatarakikata.com/articles/56今、起きていることは、「人間の仕事がなくなること」ではありません。 「仕事の価値(評価軸)そのものが、根底から変わり始めている」という、仕事の地図の塗り替えです。
■仕事のルールが変われば「求められる」条件も変わる
工業社会では、組織のルールに適応し、決められた仕事を正確にこなすことが重要でした。
失われた30年では、さらに効率化やコスト削減への対応が求められました。
でも、AI時代には違う能力が価値を持つ可能性があります。
たとえば、
相手の話を丁寧に聞く。
人の気持ちを理解する。
信頼関係をつくる。
現場の小さな違和感に気づく。
人と人をつなぐ。
地域の事情を知っている。
長年の生活経験を持っている。
など・・・
これまで「仕事の能力」として高く評価されなかったものが、新しい環境では価値になる
可能性があります。
ここで重要なのは、人間そのものが突然変わったわけではない
ということです。
変わったのは、その人を評価する「環境」と「前提」です。
だから、昨日まで弱みだと思っていたものが、明日も弱みだとは限りません。
逆に、これまで強みだったものが、これからも強みであり続けるとも限りません。
■「失われた30年」の先に、新しい選択肢が生まれ始めている
そしてもう一つ、AI・デジタル化がもたらす重要な変化があります。
それは、個人が持てる選択肢が増えることです。
かつては、何か新しいことを始めるには、多くの資本や人材、専門知識が必要でした。
現在では、AIやデジタルツールを活用することで、個人でも情報を集め、企画し、文章を書き、
発信し、小さなサービスをつくることが可能になりつつあります。
働く場所についても、会社のオフィスだけが選択肢ではありません。
副業、複業、リモートワーク、地域での活動、小さな事業など、働き方そのものも
多様化しています。
もちろん、誰もが起業すべきだという話ではありません。
重要なのは、
「会社や社会から与えられた一つの道だけが、人生の選択肢ではなくなりつつある」
ということです。
これは、不確実性が増えるということでもあります。
でも、同時に、自分で選択できる余地が広がる
ということでもあります。
■「正解がなくなった時代」は、「自分で選べる時代」でもある
「みんな一緒の人生モデル」が機能していた時代には、社会の側にある程度の正解がありました。
その正解に従えば、人生を一から設計しなくてもよかった。
でも、その人生モデルが揺らいだ今、
「どの会社に入れば安心なのか」
「どんな仕事なら一生安泰なのか」
という問いに、一つの正解を出すことは難しくなっています。
これは、不安なことです。でも、別の見方をすれば、
「社会が決めた正解に、自分の人生を合わせなくてもよくなった」
とも言えます。
自分は何を大切にしたいのか。
どんな働き方をしたいのか。
誰と関わりたいのか。
どこで暮らしたいのか。
どんな経験を社会の役に立てたいのか。
そうした問いから、自分なりの人生を組み立てていく余地が広がっています。
つまり、AI・人口減少によって変わるのは、「仕事」だけではありません。
人生のルールそのものが変わり始めているのです。
そして、この変化をチャンスに変えるために必要なのが、
「みんな一緒の正解を探す」ことから、「自分の人生を自分でデザインする」ことへの転換です。
次章では、これからの時代に必要になる「新しい人生モデル」について考えていきます。
「みんな一緒」から、自分で人生をデザインする時代へ
ここまで見てきたように、私たちを取り巻く社会の前提は大きく変わりました。
高度経済成長期には、「みんな一緒の人生モデル」に合理性がありました。
でも、失われた30年の中で、そのモデルを支えていた経済や雇用の前提が揺らぎました。
そして今、人口減少、人手不足、AIの進化によって、仕事と人生のゲームルールが
もう一度変わろうとしています。
では、これから私たちは、どのような人生モデルを持てばよいのでしょうか。
一つの答えが、「社会が用意した正解に自分を合わせる」人生から、「自分で人生をデザインする」人生への転換です。
■「正解を選ぶ人生」から「自分でつくる人生」へ
「みんな一緒の人生モデル」が機能していた時代には、人生の正解がある程度、
社会の側に用意されていました。
いい学校。
いい会社。
正社員。
昇進。
結婚。
マイホーム。
定年。
その中から、できるだけ良い選択肢を選ぶことが人生戦略でした。
でも、社会の前提が変わり、人生の選択肢が多様化した現在、一つの正解を探し続けることは
難しくなっています。
だから必要になるのは、
「どの正解を選べばいいのか?」
ではなく、
「自分は、どんな人生をつくりたいのか?」
という問いです。
これは、人生の主語を変えることでもあります。
社会や会社や周囲が主語だった人生から、
「自分」を主語にした人生へ。
他人軸から、自分軸への転換です。
■「自分軸」とは、好き勝手に生きることではない
自分で人生をデザインするというと、
「好きなことだけをする」
「会社や社会のことは考えない」
という意味に聞こえるかもしれません。
そうではありません。
私たちは一人で生きているわけではありません。
家族がいる。
仕事がある。
地域がある。
社会がある。
経済環境があり、技術の変化があります。
だから人生デザインとは、社会環境から切り離された「本当の自分」を探すことではありません。
自分と環境とのよりよい関係を、自分でつくり直していくこと
です。
自分は何を大切にしたいのか。
どんな経験をしてきたのか。
何が得意なのか。
どんなことなら続けられるのか。
誰の役に立ちたいのか。
社会では今、何が必要とされているのか。
AIを使えば、これまでできなかった何ができるのか。
こうしたものを組み合わせながら、自分なりの人生をつくっていきます。
■「環境に自分を合わせる」から「自分と環境の組み合わせを考える」へ
これまでの人生モデルでは、「自分を環境に適応させる」ことが重要でした。
会社が求める能力を身につける。
上司から評価される行動をする。
組織のルールに合わせる。
それ自体が悪いわけではありません。
でも、環境が大きく変わり続ける時代には、それだけでは不十分です。
これからは、
「自分をどの環境に置けば、自分の持っているものを活かせるのか」
という視点も必要になります。
たとえば、「人に気を遣いすぎる」という特徴がある人。
競争の激しい職場では、自己主張が弱いと評価されるかもしれません。
でも、人の話を聞き、信頼関係をつくることが重要な仕事では、それが大きな強みになるかも
しれません。
「地方に住んでいる」という条件も同じです。
かつては仕事の選択肢を狭める要因だったかもしれません。
でも、リモートワークや地域課題を起点とした新しい仕事が広がれば、「地域を知っていること」
「地域の中で様々なネットワークがあること」などが資源になる可能性があります。
つまり、人の価値は、その人だけを見ても決まりません。
「自分」と「環境」の組み合わせによって、価値は変わるのです。
■キャリアだけではなく、「人生全体」をデザインする
もう一つ重要なのは、仕事だけを考えないことです。
これまで人生設計というと、
「どの会社に入るか」
「どんな職業に就くか」
「どうキャリアアップするか」
という仕事中心の発想になりがちでした。
でも、人生は仕事だけでできているわけではありません。
家族。
友人。
地域。
健康。
学び。
お金。
時間。
暮らす場所。
社会とのつながり。
そして、自分が大切にしたい価値観。
これらはすべて、人生を構成する重要な要素です。
仕事だけではなく人生全体を設計する「人生デザイン」を構想する。
つまり、
「どんな仕事をするか」から、「どんな人生をつくるか」へ。
視野を広げる必要があります。
■人生も「一度決めたら終わり」ではない
そして、人生デザインには完成形がありません。
かつての標準人生モデルでは、
学校を卒業する。
就職する。
結婚する。
家を買う。
定年する。
というように、人生を一方向に進むものとして捉えやすい構造がありました。
でも、変化の激しい時代には、一度立てた人生計画がそのまま30年、40年通用するとは限りません。
環境が変われば、自分も変わります。
家族の状況も変わります。
社会が必要とするものも変わります。
だから、
人生を一度設計するのではなく、何度でも設計し直す。
という発想が重要になります。
そして、試してみる。
うまくいかなければ修正する。
新しいことを学ぶ。
違う環境へ移ってみる。
そこで得た経験を、次の選択に活かす。
こうした小さな試行錯誤を繰り返しながら、自分の人生を更新していく。
それが、変化の時代における人生デザインです。
■「人生を経営する」という考え方
企業は、環境が変われば戦略を見直します。
市場を分析する。
自社の強みと弱みを知る。
経営資源を確認する。
未来の姿を描く。
そして、そこへ向かうための戦略を考える。
人生も、同じように考えることができます。
時代の変化を知る。
自分を取り巻く環境を知る。
これまでの人生を振り返る。
自分が持っている経験や資質を知る。
これからどんな人生を送りたいのかを考える。
そして、小さく行動してみる。
まさに「人生を経営する方法論」をつくることです。
社会から与えられた人生モデルに、自分を当てはめるのではない。
自分自身の人生を一つのプロジェクトとして捉え、環境の変化に合わせながら、
自分で更新していく。
それが「自分で人生をデザインする」という考え方です。
■前提が変われば、人生の可能性も変わる
最後に、もう一つ重要なことがあります。
社会の前提が変われば、
「自分の強み」と「自分の弱み」の意味も変わります。
これまで不利だと思っていた年齢。
住んでいる地域。
キャリアの空白。
不器用な性格。
お人よしなところ。
慎重すぎるところ。
長年積み重ねてきた生活経験。
など・・・
それらは、本当にこれからも「弱み」なのでしょうか。
環境が変われば、評価基準も変わります。
そして、評価基準が変われば、
昨日までの弱みが、明日の強みになることがあります。
ピンチだと思っていた環境の変化が、新しいチャンスになることもあります。
だから、過去の前提だけで自分の可能性を決める必要はありません。
前提が変われば、ピンチはチャンスに、弱みは強みになる。
この考え方を、私たちは「SWOT転換」と呼んでいます。
失われた30年を振り返る本当の意味は、過去を嘆くことではありません。
「これまでの人生の前提は、これからも本当に正しいのか」
と問い直すことです。
「みんな一緒の人生モデル」から、
「自分で人生をデザインする時代」へ。
社会の前提が変わった今、私たち自身も、人生の前提を更新するときが来ている
のではないでしょうか。
まとめ 「みんな一緒」から、自分で人生をデザインする時代へ
失われた30年で変わったのは、経済や雇用だけではありません。
私たちの人生を支えてきた「前提」そのものが変わりました。
かつては、「みんなと同じ道を歩く」ことが安心につながる合理的な人生戦略でした。
でも、社会の環境は大きく変わり、さらに今、人口減少やAIによって新しい人生の
ルールが生まれようとしています。
だからこそ、過去の成功モデルに自分を合わせ続けるのではなく、
「自分はどんな人生を歩みたいのか」
を自分自身で考えることが必要になっています。
「みんな一緒の人生モデル」から、自分で人生をデザインする時代へ。
そして、前提が変われば、自分の見方も変わります。
ピンチはチャンスに、弱みは強みに変わるかもしれない。
次に必要なのは、新しい時代の前提から、自分自身の可能性を見つめ直すことです。

「okinawa未来カレッジ」は、誰もが自分らしい明日へ一歩を踏み出せる、 未来に向かって前進し、新しいライフサイクルを創り出すコミュニティーを目指します。